松瀬学
2011年07月05日
なぜだろう。過激な石原慎太郎都知事の個性ゆえ、必要以上に反発を招いているのかもしれない。丁寧な説明が不足しているのではないか。まずは都議会で徹底議論し、賛否をじっくり考えてみるべきだろう。
日本オリンピック委員会(JOC)の招致要望を受け、石原知事は言った。「心中、たいまつの灯は消すまいと決めております。やっぱりね、みんなで肩組んでやらないと、ラグビーのスクラムだって、相手に押し切られてしまう。震災に見舞われ、日本人が精神的に立ち直らなければならないと念じている」と。
どだい東京都の五輪招致再挑戦は既定路線だった。一昨年の10月、東京が16年五輪招致に失敗した直後、石原知事は再挑戦に意欲を示していた。三月に東日本大震災が起きた。不幸な出来事ながら、「復興のシンボルに」という大義名分ができた。強敵とみられた南アフリカが20年五輪招致を断念したことでチャンスも膨らんだ。
国際オリンピック委員会(IOC)への申請締め切りは9月1日である。都議会が始まる前の知事の意欲表明は当然であった。「議会対策」のためだろう、JOCやスポーツ選手が知事や議会の各会派を訪ね、立候補をお願いしたのだった。これは妙な話だが。
反対意見はおおむね、都民の税金を五輪招致に振り向けるのは許さない、といったものだろう。五輪招致よりも、被災地や被災された方々への復興支援を優先するべきだ。あるいは都民の社会福祉に回せ、エネルギー対策や安全確保に使えといったものだろう。そりゃそうである。
ただ、それでも五輪招致には意義がある。大震災のあと、ほとんどの国民が「つらいけど、みんなでがんばろう」という心境になっている。その小さな火を、五輪を招致することで大きくはできまいか。なんといっても五輪は子どもたちに夢をあたえる。将来への投資となる。そう信じている。
五輪招致は1回目より、2回目のほうが合理的にできるに決まっている。活動費にしても、
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