2011年09月29日
最後のカナダ戦(9月27日)。場所が、ニュージーランド北島南部の海浜リゾート地のネイピアだった。青い青い空が広がり、マクレーン・パークの記者席からは群青色の海が一望できる。日本は前半の10点のリードを守りきれず、終了直前、相手PGで23-23と追いつかれた。
くしくも、前回W杯の最終戦と同じく、カナダと引き分けた。ただ前回は勝利に等しいドローだったが、今回は敗戦同様の引き分けである。ノーサイドの瞬間、選手たちは呆然と立ち尽くした。主将の菊谷崇とベテラン大野均は肩を抱き合い、悔し涙にくれた。
なぜ、勝てなかったのか。「1対1のタックルミス」と「ハンドリング技術の不足」である。試合運びも雑だった。FWが密集戦でよくファイトしているのだけれど、ここぞという時のラックではあっという間にあおられた。ゴール前ではハンドリングミスや反則でチャンスをつぶす。
結局、1分け3敗の勝ち点2止まりである。4年間の成長を問われ、太田治ゼネラルマネジャーは言った。「言い方が悪いかもしれないけれど、停滞した。前進できなかった」
なぜ、なのか。JKはこの4年間、綿密な準備を進め、選手のパフォーマンスの数値化、科学的トレーニングの導入などで「個」の力をアップさせた。理詰めの指導で「チーム」を整備しようとした。フィジカル面と組織的なディフェンス力は間違いなく、向上した。世界ランキングは19位から、一時、12位にまで上昇した。選手に自信が芽生えた。
ただゲームプランにこだわりすぎ、選手たちは約束事に追われ、厳格な評価に萎縮するようになった。ラグビーで一番大事な目の前の敵とファイトする姿勢、ここぞというときに勝負する気概が希薄になった。
周囲の批判にも、JKは勝つため、30人中10人もの外国出身者を選んだ。選手選考はヘッドコーチの専権事項ゆえ、とやかく言われる筋合いのものではない。ただチーム作りが外国出身者主導のため、どうしても外国出身者に依存するようになった。
もっとも問題は
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