川本裕司
2011年10月03日
――新聞協会長として手がけたことで記憶に残るのは。
「広告が激減するなかで新しい広告の開発に協会のプロジェクトとして取り組み、JAや製紙会社などで3回、広告が掲載される成果が出た」
――東日本大震災では被災地の新聞社が部数減など打撃を受けたが。
「配達さえ不可能になったのでやむを得なかったが、梱包したままの新聞を避難所に届けると、避難者の名簿一覧表などが食い入るように読まれた。テレビやラジオで伝えられない細かい情報の入った紙の強みを発揮できた」
――再任が内定していたと伝えられていた協会長を辞任した理由は。
「長く
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