西田宗千佳
2011年10月11日
だが他方で、違和感を感じる点も少なくない。
「彼がいなければ、パソコンもスマートフォンもなかった。マウスも彼の発明」「彼がいなくなったら新しいものが生まれづらくなる」
それはどうだろう。
彼は「発明家」でも「研究者」でもない。起業家だ。すべてを生み出した神のようにたたえることは、むしろ彼と、彼が本当に生み出したものに失礼なのではないか、と感じるのである。
では彼が起業家として、モノを作る企業のトップとして生み出したものはなんなのか?
それは「商品を良いものにするためには、自社や業界の事情よりも優先せねばならないことがある」という事実を、コンピュータの世界に持ち込んだことだ。
例えば、ノート型のマックの「裏」には、細かな注意書きやシールがほとんどない。表にも、CPUメーカーやOSメーカーの「ロゴシール」はない。これらのものは、ほとんどが企業側の事情でつけられるもの。デザインを良くするためには邪魔なものだ。多くの企業は、そこでコストやリスク軽減を重視し、デザインの面で妥協する。だがアップルはそうしない。なぜなら、そういうところで妥協することをジョブズ氏が嫌うからだ。
操作性や画面の美しさについても同様だ。技術的な難点があっても、「より美しく見えること」「より簡単に、なめらかに使えること」を重視する。1984年に最初のマッキントッシュを作った時にも、利用する書体や操作中の「画面の切り替わり」にこだわった。当時の技術では、それを実現するためにコストやスピード面で無理があるにも関わらず、だ。だがそうした伝統が、デザイナーやクリエイターに愛され、アップルという企業の「軸」となり、今の成功へとつながっている。
自社が売る製品に、経営者がどこまで「こだわり」を見せることができるのか。妥協すべきでないと自身が感じた時、それをいかに自社内へ浸透させることができるのか。
大きな企業になればなるほど、それは難しくなる。ジョブズ氏が本当にすごかったのは、
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