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JYJのいま(上):苦境とその打開

小野登志郎 ノンフィクションライター

「オリコンに入らなくてもいいんです。また日本で曲を出して、日本で歌いたい」

 10月15日、茨城県・ひたち海浜公園で行われた野外ライブで、JYJの1人ユチョンはそう言った。

 そのユチョンが正式なメンバーだった東方神起は、2004年に韓国でデビューし、翌年に来日。韓国では既に売れっ子だったが、ゼロから日本語を覚え、日本での活動を始めたのだった。その後の躍進は、日本人の誰もが知るところである。2008年1月には「Purple Line」が初めてオリコンチャートの1位を飾り、同年末には日本レコード大賞にノミネート、NHK紅白歌合戦出場という快挙を果たした。彼らの歌った曲名に記憶がないという人でも、「東方神起」という名前やその調べをまったく知らない日本人は少ないだろう。

 東方神起はもともと、ユンホ、ジェジュン、ユチョン、ジュンス、チャンミンという5人のメンバーで活動していた。しかし、2009年7月、メンバーのジェジュン、ユチョン、ジュンスが、所属していた韓国の事務所、SMエンタテインメントとの契約は不当だとして、専属契約の効力停止を求める仮処分をソウル地方裁判所に申請。翌年4月には、日本でのマネジメントを担当していたエイベックス・グループ・ホールディングスが東方神起の活動停止を発表。ジェジュン、ユチョン、ジュンスの3人は韓国での所属事務所を移し、独自のユニットを結成。日本ではしばらくエイベックス・グループ・ホールディングスのもとで活動していたが、同年9月、エイベックス側は3人の活動休止を突然発表し、3人は日本での活動を中断することを余儀なくされた。

 今年に入ると、事態はさらに泥沼化の様相を呈することになる。SMエンタテインメントとエイベックス・グループ・ホールディングスは、ユンホとチャンミンの2人で東方神起としての活動を再開。一方で、ジェジュン、ユチョン、ジュンスの3人は「JYJ」というグループ名で韓国での活動を開始し、6月には日本でのチャリティーライブを企画するのだが、エイベックス側は3人の活動は不当だと主張し、エイベックスと関係のある会場がこれに呼応したため、JYJ側はライブ会場の確保が困難となった。最終的に日本相撲協会が両国国技館を貸し出し、ライブは決行されたのだが、JYJが所属するC-JeSエンタテインメントはこれを「妨害行為」としてエイベックスを提訴。両者は全面対決することととなり、JYJは現在でも、日本での芸能活動が困難な状況にある。ユチョンが言ったように、日本のメディア、そしてヒットチャートから姿を消したのだ。

 そもそもこの分裂騒動の発端となったのは、SMエンタテインメントが東方神起の5人と結んだ契約内容にあった。裁判資料によれば、SMエンタテインメント側がメンバーと結んだのは、CD1枚につき1人あたり0.4〜1パーセント、売り上げが5万枚未満ならノーギャラという過酷なギャランティー契約だった。また、契約解除時には、日本円にして100億円を超えると試算される違約金を払わなければならない。契約期間は13年契約となっており、メンバーは事務所を抜けることも許されない状況に立たされていた。さらには、その過酷なスケジュールである。先進国の労働基準法はもちろん、激務である芸能関係者の多くが驚くほどの過密な労働だった。アイドルやスターは、感情労働者であり、肉体労働者であり、知的労働者でもあらねばならない。精神的にクタクタになってしまったとしても、これを非難できる者はいないだろう。その状況に対し、反旗を翻したのが、のちにJYJとなる3人のメンバーだった。

 ただ、3人は自力でSMエンタテインメントに

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