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「わかったつもり」になってはならない

緒方健二

緒方健二 朝日新聞西部報道センター記者

オウム真理教事件捜査の中核を担った警視庁の捜査1課担当として、一連の事件を取材しました。教団が次々と起こす犯罪に振り回され、徹夜を重ねた当時も今も、「オウム真理教」や「麻原彰晃こと松本智津夫」をはじめ教団幹部連中の名を見聞きすると、彼ら彼女らへの怒りがたぎってきます。

 警察庁の片桐裕長官は11月17日の定例会見で「宗教団体の衣をまとったテロ組織が、殺人を含む数々のテロ行為を行い、松本サリン事件や地下鉄サリン事件のような化学兵器を使った大量無差別殺戮を引き起こし、社会を大規模な混乱に陥れた」と振り返りました。その通りです。でもなぜこんな教団が生まれ、史上まれなテロ集団になったのか。事件に関与した信徒の裁判が終わった今も判然としません。

 その後、多くの人がさまざまな観点で教団や事件の背景に迫りました。どの分析にも「なるほど」と感じ入りますが、得心するには至りません。事件の動機や背景を解明し、その中から再発防止策の糸口を見つけることも報道に携わる者の仕事と任じているのに情けない限りです。一連の裁判が11月21日に終わったのを機に、あれこれ考えました。

●熊本事件~無差別テロへと走らせるきっかけ

 私が最初にオウム真理教を取材したのは1990年です。大勢の信徒が熊本県阿蘇山の山あいにある波野村(現・阿蘇市)に住み着き、地元住民ともめていました。熊本県警が同年10月、教団がその修行キャンプ用地を不正な手段で取得したとして国土利用計画法違反などの容疑で波野村の「道場」などを家宅捜索し、幹部信徒を逮捕しました。警視庁などの応援を得て警察官約400人を動員、初めての警察による大規模な強制捜査でした。西部本社社会部(福岡)にいた私も応援取材で現地に入りました。たむろする信徒は、だれもがやせこけ、うつろな表情でした。問いかけても一切答えない。広大なキャンプ地を歩くうち、道に迷い、ふりむくと信徒数人が後をつけていました。「何か用か」と問うても無言で、不気味でした。

 この年2月にあった衆院選に、教団は当時代表の松本智津夫死刑囚ら25人を立候補させました(全員落選)。街頭で信徒らが麻原の顔を模した張りぼてをかぶり、支持を訴えていた姿が記憶に残ります。前年89年11月に行方不明となり、後に教団に妻子とともに殺された坂本堤弁護士の自宅に教団バッジが落ちていたこともわかっていました。

 熊本事件で警察は90年10月、幹部数人を逮捕しました。この中には坂本弁護士一家殺害で死刑が確定した早川紀代秀死刑囚も含まれます。でも早川は12月に保釈されました。いわゆる「形式犯」だったためですが、その後教団のテロ組織の基盤強化に関わった男を結果的に野放しにしてしまった捜査が悔やまれます。

 元捜査幹部は「90年はオウム真理教が無差別テロに舵を切った年」と振り返ります。衆院選で1人の当選者も出せず、大規模な捜査を受け、社会全体を敵とみなして攻撃敢行を決意したのだ、と。

●東京・目黒公証役場事務長拉致~警視庁がようやく教団捜査に乗り出す

 熊本事件から2年後の92年、私は転勤で東京社会部に来ました。警視庁詰めとなり、公安部門を担当しました。オウム真理教のことは気がかりでしたが、東京サミットや皇太子ご成婚を控えて、各地でこれに反対するゲリラ事件が頻発していて、その取材に追われました。私の知る限り、当時の警視庁はオウム真理教にそれほど関心を払っていませんでした。

 私の担当が刑事部捜査1課に変わって間もなくの94年6月、長野県松本市でサリン事件が起きました。一報は「裁判所の官舎で異臭がし、数人を病院搬送」でした。8人が死亡する大惨事となり、捜査1課担当の同僚記者が現地に向かいました。猛毒のサリンが使われたことに社会は衝撃を受けました。サリンは「貧者の兵器」とも呼ばれる人工の神経ガスで、自然に発生するものではないため、犯人探しの捜査と報道が過熱しました。その過程で警察も、朝日新聞を含む報道機関もとんでもない過ちを犯しました。近所に住み、事件の第一通報者だった河野義行さんを犯人視してしまったのです。

 非公式の取材に対し、「オウムの犯行では」との見立てを語る警視庁の捜査員もいましたが、根拠はありません。警視庁幹部の1人は「坂本弁護士一家殺害の捜査主体は神奈川県警、松本サリンは長野県警。起きてはならないが、東京都内でオウム関与濃厚な事件があれば警視庁が捜査を仕切れるのに」といつも言っていました。日本の警察は、47都道府県にそれぞれある警察本部が管内で起きた犯罪や事故を処理するのが原則です。警視庁の内部には、警察本部の中で最多の警察官を擁し、犯罪捜査の経験が抜きんでて豊富という自負があるせいか「不気味なオウムの実態を解明できるのはうちだ。だが突破口となる事件がないと動けない」とのもどかしさを口にする人が複数いました。

 その事件は、残念ながら95年2月28日の夕方に品川区内で起きてしまいました。目黒公証役場事務長の仮谷清志さん(当時68)が路上で拉致されたのです。教団によって山梨県の教団施設に連行され、薬剤を注射されて死亡しました。

 2月28日の警視庁捜査1課長宅への「夜回り」が忘れられません。夜回りというのは、日中は会うことのできない捜査員の自宅を夜間に訪ねて話を聞く取材です。相手は、この日捜査1課長に就任した寺尾正大さんです。寺尾さんは数多くの難事件を解決に導いた人で、警察社会では辣腕捜査員として知られています。口の堅いことでも有名ですが、数時間前に起きた仮谷さん拉致事件については「必ず真相を突き止める」という決意を語りました。明言はしませんがその口ぶりから、 ・・・ログインして読む
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筆者

緒方健二

緒方健二(おがた・けんじ) 朝日新聞西部報道センター記者

朝日新聞社会部員(組織暴力専門記者)。1958年大分県生まれ、同志社大卒。毎日新聞社を経て88年入社、92年東京本社社会部。警視庁警備・公安、捜査1課、国税などを担当、99~2004年警視庁キャップ。東京社会部デスクを経て、04年から警察・事件担当の編集委員。地下鉄サリンなど一連のオウム真理教事件のほか数多の殺人、贈収賄、暴力団犯罪などを取材。17年4月から西部報道センター。

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