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スポーツ界のセクハラは閉鎖社会の弊害

松瀬学 ノンフィクションライター

 柔道の内柴正人容疑者のセクハラ事件は言語道断である。酒に酔って、大学の女子柔道部員に性的な乱暴をしたという。ふたりの子どもを持つ33歳。合意があろうがなかろうが、指導者が教え子に手を出したら、指導者失格、いや人間失格である。

 とくに金メダリストはいわば、公人である。子どもたちに夢を抱かせる立場としての責任も大きい。その自覚がないから、こんな破廉恥な行為をしてしまう。柔道という競技だけでなく、スポーツ全体のイメージを貶めることになった。

 ただ昔から、この類の噂はたくさんあった。どのコーチとどの選手ができている、あるいは或る男性コーチが女子選手に性的関係を強要した……。ここで日本のスポーツ関係者は気をつけなくてはならない。この国の「体罰」や「セクハラ」をめぐる常識、寛容の幅は長らく、欧米各国とかけ離れていた。

 なぜだろう。師弟関係を履き違え、指導者が女子選手に服従を強いる側面があったのではないか。また、その競技が閉鎖的な社会の場合、得てして「柔道バカ」や「スポーツバカ」が横行することになるのではないか。ただ強くなればいい。他の世界、社会の“外気”にあたっていないから、社会の規範や常識にうとくなるのだ。

 なんだか大相撲の「暴行事件」「八百長問題」に土壌が似てはいまいか。閉鎖社会に安住すると、いつのまにか非常識な行為が“常識”となってしまう。これは危ない。

 もはや時代は変わったのだ。セクハラ行為も暴力行為も、うやむやでは済まされなくなった。スポーツ界としても、企業同様、異性に性的な言葉や行為で圧迫すればセクハラとなり、それは犯罪となるのだ。とくに柔道やレスリングなどのコンタクト競技の場合、指導者は十分に注意しなければならない。

 今回の事件はもちろん、内柴個人の資質によるところが大きい。だが

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