西岡研介
2011年12月31日
松本は私と同じ元神戸新聞の記者で、ともに16年前の阪神大震災を取材した。「阪神」を経験した私たちがこの「東日本」、いや「東北」で何が書けるのか……。そう自問しながら8カ月間、北は宮古から南はいわきまで広大な被災地を歩いた私たちにみえてきたのは、都市型災害だった阪神大震災の取材では全く感じられなかったものだった。
「いつかは(政府を含む)中央に見捨てられるのではないか」という不安と、その中央から「蔑ろにされている」という思いだ。
それもそうだろう。阪神大震災では発災から2カ月後に16本の震災関連法が成立したにもかかわらず、それとは比較にならないほどの被害をもたらした東日本大震災ではわずかに10本。また阪神の時は発災後1カ月余りで成立した復興基本法が国会を通過したのは、発災から3カ月以上も後だった。
この政府・国会のスピード感のなさ、そして被災地の“蔑ろにされ感”は阪神の時の比ではない。彼ら「中央」に対し東北の人々はもっと怒りの声を上げてもいいのではないか…。
16年前、阪神大震災の発生からわずか2カ月後に突然、被災地の区画整理を発表した神戸市に、対象となった住民は激怒。何十人もの被災者が市庁舎に押し寄せ、一時は暴動寸前の騒ぎとなった。それら阪神の“怒れる被災者”を目の当たりにしていた私や松本は、東北の被災地で、政府の無能無策に“耐える被災者”の姿を見る度、もどかしさを感じていた。
唯一の例外は福島の人々だ。彼らは今も猛烈に怒り、従来の「苦難を黙って耐える我慢強い東北人」などという、この地に対する中央の“見下し”を含んだこのステロタイプを打ち破らんばかりに声を上げている。
当たり前の話だ。福島の人々が今なお受け続けている被害は、岩手や宮城を襲った津波という「天災」によるものではなく、“安全神話”に呪縛された東京電力や中央政府による「人災」だからだ。放射能汚染によって故郷を追われ、家族をバラバラにされて黙っているほうがおかしい。福島の人々の煮えたぎる怒りは今、多くの人々を巻き込みうねりとなっている。
だが、岩手、宮城の人々も
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