大坪正則(スポーツ経営学)
2012年01月10日
当時の横浜は1998年に達成した日本シリーズ優勝時の戦力を維持できなくなっていたとはいえ、依然として優勝争いに参加するだけの戦力は残っていた。TBSが、(1)球団が強い、(2)球団が黒字、(3)球団が出資する横浜スタジアムも黒字、(4)巨人戦の放送回数が増える、との理由で買収を決意したことには納得できる。
ところが、2011年の成績は47勝86敗11分(.353)、4年連続の最下位。この勝率では3試合のうち2試合を負けている勘定になる。これでは観客の足が遠のくのは当たり前だ。観客は110万人で、2001年に比べ60万人近く減少した。まさに、横浜は泥沼にはまり込んだ状態だったのだ。
その横浜のオーナーシップが2012年シーズンからDeNA(ディー・エヌ・エー)に変わった。果たして、親会社が変わることで来シーズンの横浜に躍進を期待できるだろうか?
残念ながら、それは「否」と言わざるを得ない。横浜の近い将来については、球界参入時の東北楽天イーグルスと比較するのが分かりやすい。新規参入の2005年シーズンを前にした楽天と今の横浜は、経営陣も戦力も酷似しているからだ。一方、経済的環境は楽天よりもはるかに脆弱だ。親会社のDeNAの苦労は彼らの想像以上に厳しいものになると予想する。
ご承知の通り、楽天は2004年の選手会によるストライキを受け、当時の近鉄バファローズを継承する形でプロ野球界に参入した。ところが、球団の戦力を見ると、合併・統合した近鉄とオリックスブルーウェーブの2球団を合わせた選手のうち、実力・能力でおおよそ下位の半分の選手を受け継ぎ、それにオリックスへの入団を拒んだ数名の選手を加えた陣容だったので、極めて頼りないものだった。
しかも、楽天の経営陣は球団経営の素人だった。監督も経験のない新人。そこで外国人GMに外国人助っ人獲得が期待されたが、1~2カ月のスカウト活動では成果を挙げることは無理な相談だった。
結局、楽天は開幕当初危惧された100敗は免れたものの、38勝97敗1分(.281)で最初のシーズンを終えた。予想されたとはいえ、不甲斐ない成績に、監督は2年契約であったにもかかわらず1年で解雇された。
もちろん、成績だけが理由ではなかった。優勝に加わるだけの球団戦力を整えるにあたって、球団首脳と監督が将来像を描ききれないなかで、監督自身にビジョンがないことが致命的だった。1年を経て、経験の浅い球団首脳は彼らを補完できる経験豊富な監督の頭脳を必要としたのだ。野村克也監督の起用は必然的だったと言える。
横浜の2012年シーズンは、球界参入時の楽天同様、球団経営の知識が乏しく経験のない球団首脳と新人監督の二人三脚でBaseball Operation(チーム運営)が進められるだろう。楽天と異なる点は、
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