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東大9月入学、強めの不満と弱めの期待

本田由紀

本田由紀 本田由紀(東大教授)

東京大学が秋入学への移行計画を1月20日に発表したことが、様々な波紋を呼んでいる。秋入学の検討について東大が大学間の協議会設置を呼び掛けたことに応えて、旧帝大や一橋大・慶応義塾大をはじめ他大学からも同調する声が上がっているだけでなく、23日には平野文部科学大臣が賛意を示し、24日には古川国家戦略担当相が国家公務員の秋採用の検討を内閣府事務次官に指示したことを記者会見で明らかにした。秋入学の導入が進むとすれば、それは今後の日本の大学教育にとっていかなる意味をもつことになるのか。

 筆者自身がこの大学に教員として属しているからには、意見は内部者としての発言という意味を持ち、批判は自己批判としての性格をもつことは言うまでもない。しかし同時に、巨大な組織の常として、筆者が本件に関するこれまでの検討に直接関与できてきたわけではないことも事実である。それゆえ以下の見解は、内部と外部の狭間にある立場から、客観性と当事者としての責任の双方を強く意識した上で示すものと理解していただきたい。

 周知のように、秋入学についての検討結果をまとめた東大の報告書の10頁(http://www.u-tokyo.ac.jp/gen02/pdf/20120120interim.report.pdf)では、秋入学が何をもたらすかが次のように整理されている。「1.国際交流:国際的にスタンダードな学事歴と整合する 2.授業期間:学期の途中に長期休業が入らない 3.入学前:高校卒業から大学入学までに空白期間が生じる(ギャップターム) 4.入試:入試の実施時期を集約することができる(大学院も秋季入学に一本化する場合) 5.卒業・就職:卒業が夏、就職が秋以降となる 6.その他」。報告書ではこの6点のそれぞれについてメリット・デメリットが箇条書きにされているが、多くの項目ではデメリットは重大なものではなく、メリットの方を強調する書き方になっている。ただし、上記の3と5については、入学前・卒業後のギャップ期間中の家計負担や企業等の採用日程とのずれが不利を生む可能性といった、重要度の高いデメリットが挙げられており、社会からの関心も主にこのギャップ期間が正負いかなる影響を及ぼすかに集まっているようである。

 秋入学をどう見るかについて、筆者としてはまず何よりも、上記「6.その他」の最後にさりげなく挙げられているメリットに注意を払いたい。そこには「既存の社会の仕組みを変えることにより我が国全体の閉塞感を打破する契機となる可能性がある」と記されている。筆者はこの点にはおおいに賛同する。日本社会は、高度成長期から安定成長期にかけてできあがった社会システムが、1990年代以降に高齢化や国際的な政治経済環境の変化が進む中で様々な機能不全を顕在化させているにも関わらず、労働市場、教育、福祉などの諸領域での変革は遅々としている。すでに「失われた10年」が「失われた20年」となりつつあり、このままでは「失われた30年」にもなりかねない。その中で、東京大学という、社会体制内で大きな影響力を持ちうる機関が大胆な挑戦を掲げ、社会全体の気運や雰囲気に風穴を開けようとしていることは高く評価されるべきである。

 それを踏まえた上ではあるが、秋入学という提言そのものに対する筆者の評価は、「強めの不満と弱めの期待」というものである。まず「強めの不満」とは、秋入学を通じて東大が追求しようとしている最大の目的であるところの「国際化」にとって、秋入学の導入だけでは大きな効果を持ちえない、言い換えれば「国際化」を本当に推進しようとするならば秋入学の実施以外にもっと重要な課題があるはずだ、ということである。秋入学により他国と学事日程を合わせたとしても、大学の教育研究機能自体に大きな魅力がない限り他国からの優秀な留学生を惹きつけることはできないし、逆に現行の入学時期のままでも大学の教育研究のあり方次第で日本人学生の海外留学や海外からの留学生の増大は可能である。上記報告書の43頁には、「留学プログラム等の機会を充実させてほしい」という項目に対して東大の学部生の6割近くが肯定しているという調査結果が掲載されている(「あてはまる」27.2%、「まああてはまる」31.4%)。同42頁には、東大の学部卒業生の中で1年以上の留学を経験した者は7.9%、1年未満の留学は14.0%にすぎないという数字もある。東大はこれまで日本人学生の海外留学を積極的に推進・支援してきたとはとても言えない。なお東大では教養学部に英語の授業のみで卒業できる「英語コース(PEAK)」を新しく開設したが、その定員は「若干名」にすぎず、他の1学年3,000名に及ぶ学生はその埒外にある。いっぽう、海外の大学と提携して大学独自の留学プログラムを積極的かつ広範囲に実施している大学は国内でも珍しくない。著名な例は秋田国際教養大学であり、ここではすべての学生に1年間の海外留学を義務付けている。「本気で」国際化を推進したいのなら、もっと直接的に教育の中身や留学支援制度(費用負担や語学教育を含む)の面で学生の海外との交流を図るべきなのに、なぜまず入学時期の議論をしなければならないのかが疑問である。また国際化に限らず、大学在学中の学習や経験を豊かにするためのソフト面・ハード面での条件整備が、東大を含め日本の大学では欧米に比べ立ち遅れていることが真の問題であるはずだ。たとえばキャンパスに近接する寮の設置や入学試験の改善、修学年限の柔軟化など、検討すべき課題は数々ある。

 入学時期の変革は、大学側にとって定常的なコスト増をもたらすものではないがゆえに取り組みやすいかもしれないし、外形的な改革であるがゆえに社会からの注目を引きつけるであろうが、ほんとうに重要なのは、コストも手間も膨大に必要とするような、教育内容本体の充実のほうなのである。議論が入学時期の問題に集中し、その変更だけで何かを達成したつもりになり、真の課題が忘れられては元も子もない。東大の報告書では、国際化を含む総合的な教育改革の必要性や企業の採用方法がもつ問題点についても述べられており、秋入学が「十分条件ではない」とも書かれているが、それならばまず「秋入学がなくとも可能かつ必要な」改革について実効をあげるべきではないのかということが、「強めの不満」ということの意味である。

 他方で、「弱めの期待」とは、

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