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水俣病救済の7月締め切りは禍根を残す

大矢雅弘

大矢雅弘 ライター

有機水銀のために中枢神経が冒され、手足がしびれたり、言語障害に苦しんだりする水俣病は、公式確認の日とされる1956年5月1日から半世紀以上も続く公害病だ。細野豪志環境相は2月初め、水俣病被害者救済法による救済の受け付けを7月末で締め切ると表明した。だが、有機水銀の被害はいったいどこまで広がっているのか、それさえもわからない。水俣病の全体像を解き明かし、すべての患者を救済するために政府が尽くすべき手段はまだ、たくさんある。それをすることなくして、救済の門戸を閉ざすことは大きな禍根を残す。

 救済法による新救済策では、国の基準では水俣病患者と認定されないが、メチル水銀に汚染された魚介類を食べ、一定の症状がある人を対象に、210万円の一時金や療養手当などが支給される。救済法は生まれ育った地域や生まれ年で範囲を限っている。原則として、九州では、熊本県の津奈木町の全域、水俣市、芦北町、八代市、天草市、上天草市、鹿児島県の出水市、阿久根市、長島町の一部に居住歴があり、原因企業チッソの排水が止められた69年11月までに生まれたことが条件だ。対象外の場合は魚の多食などの証明が必要だ。

 水俣病患者の診察経験が豊富な医師らでつくる「水俣病訴訟支援・公害をなくする県民会議医師団」は昨年10月、救済法が原則として救済対象地域外としている熊本県芦北町の山中にある黒岩地区で住民検診をした。その結果、検診に応じた39人のうち37人に全身や手足の先ほど感覚が鈍くなる水俣病の症状を確認した。

 医師団の藤野糺団長(水俣協立病院名誉院長)によると、黒岩地区は標高500メートル前後の山村集落で、これまでは水俣病とは無縁と考えられていた地域だ。長年、道らしき道はなかったが、ふもとの芦北町田浦漁港から複数の行商人が週2日ずつ、魚の入った缶を背負ったり、てんびん棒で担いだりして売りに来ていた。地元の住民は毎日のように魚を食べたという。

 藤野団長は、徒歩での行商を通じて汚染魚を摂取した黒岩地区の実態に強い衝撃を受けた。行商などの流通ルートによる汚染の実態はわかっておらず、国鉄を使って行商が往来した水俣市久木野地区やリヤカーや鮮魚店などを介して魚介類が流通した水俣市の街中などでは、魚介類の流通量はもっと多かったと考えられると指摘する。

 藤野団長は同医師団が活動を始めた71年から41年間にわたり、水俣病の潜在被害者の掘りおこしや治療研究に尽力してきた。84年には、過去に急性劇症型の水俣病患者が一人だけしか発生していなかったと考えられていた津奈木町の赤崎地区で20歳以上の全住民の健康調査をした。調査時に居住していた471人中441人の認定申請状況は、265人が認定申請し、21人(8%)が認定、89人(34%)が棄却、ほかは保留だった。だが、藤野団長らの診察結果は285人中、232人(81%)が水俣病、13人(5%)が水俣病の疑いだった。藤野団長は「一人の急性劇症型の水俣病患者の背後に膨大な数の被害者が潜在していたことを示す典型だ」とみる。

 今回の黒岩地区の実態を受けて、藤野団長は「被害者は政府が指定する地域や年代以外にも多数存在するだけでなく、指定地域の中においても、まだまだ2倍あるいは3倍以上の潜在患者が存在する。言い換えれば、

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