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一県平和主義を超える方策を

武田徹

武田徹 評論家

 東日本大震災で発生したがれきの広域処理については、政府の要請を受け入れる自治体が徐々に増えているが、たとえば北海道庁が受け入れを認めても、札幌市は拒否するなど足並みが揃わず、作業はなかなか進まない。

 がれき受け入れの拒絶が、コスト負担や処理キャパシティなど、具体的な問題に端を発するのであれば理解できる。あるいは広域処分という方法が現実的ではない、移送に当たる一部業者を優遇する偏った政策だ、などの抗議の主張を込めた拒絶というケースもあるだろう。しかし放射線の問題がそうした拒絶の背景に控えているのだとしたら、そこではやはり議論が必要だろう。

●「今より環境を悪くしない」という選択

 冒頭に紹介した札幌市では、上田文雄市長が4日に朝日新聞のインタビュー取材に答え、岩手、宮城両県のがれき受け入れを拒否した理由について「これなら大丈夫だということは言えないが、今より環境を悪くしたくないと考えている」と説明している。札幌市内の清掃工場の焼却灰からは通常1キロあたり13~18ベクレルの放射性物質が検出されているという。岩手、宮崎のがれきを受け入れて処理した場合、どの程度かは別として、それより多くなることはありえる。
 ただ、その「多さ」をどう考えるべきか――。放射線量において「今より環境を悪くしたくない」という立場は、札幌市長だけでなく、放射線被曝を避けようとする人々に共通するものだろうが、人工放射線が存在すること自体を許さない極端な否定に至るポテンシャルを持っている。

 確かに最も被爆に弱い細胞への影響を、その発現を遠い未来にまで及ぶ時間スケールの中で考えれば、わずかな放射線量の増加が「何か」を万が一に引き起こす可能性なしとはいえない。微量放射線の影響について確定する科学的知見が得られていない以上、万が一の「何か」を想像して不安となることを回避しえないのは、放射線の発生を伴う原子力技術を利用する時にこれまた避けられない事情である。そしてこの不安を回避するには、予防原則的に被ばくの可能性を回避せざるをえない。もしも日本が原子力技術利用に着手し始めた時に、こうした事情が考慮されていたら、原発大国への道は歩まなかったかもしれない。

●身体中心の反原発思想

 しかし、歴史にイフはなく、現実には日本は原子力技術を受容し、実際に福島で事故が起きて、被ばくリスクがまき散らされた。こうした事態に及んで、現在の状況を、角度を多少変えて考えるための補助線を引いてくれるのが、最近刊行されたスガ(糸偏に圭)秀実『反原発の思想史』(筑摩書房)だ。

 同書によると日本の反原発運動は新左翼活動家たちが毛沢東の近代文明批判を受けて始めたとされる。そうしてやがて全共闘運動が沈静に向かうと反原発運動は同じく反近代の構えを持つ「ニューエイジ」運動の文脈に移植される。全共闘運動期の左派ジャーナリズムの寵児だった津村喬がその象徴的存在で、津村は1978~79年に『反原発事典』を編集する一方でディープエコロジー思想に接近、東洋体育、気功の専門家に転身してニューエイジ運動の担い手の一人となる。こうしてエコロジー、ニューエイジを経て反原発の思想は新左翼的出自を希釈し、チェルノブイリ原発事故後に旧来の左翼運動と袂を分かった「普通の市民」の運動にと至る。  

 しかし、その運動には偏りがあるとスガは指摘する。「原発は危険だから反対するという論理は、容易に自民族中心的な一国平和主義におちいる。その時、それは、安全性に配慮すれば、原発もやむをえないとか、旧第三世界には輸出しようという、もう一つの一国平和主義の無自覚な介入を許すばかりなのである」。

 実は津村がニューエイジ運動にシフトするとき、そこには毛沢東思想に反近代的なベクトルをみた反原発の「初志」が残っていたが、 ・・・ログインして読む
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筆者

武田徹

武田徹(たけだ・とおる) 評論家

評論家。1958年生まれ。国際基督教大大学院比較文化専攻博士課程修了。ジャーナリストとして活動し、東大先端科学技術研究センター特任教授、恵泉女学園大人文学部教授を経て、17年4月から専修大文学部ジャーナリズム学科教授。専門はメディア社会論、共同体論、産業社会論。著書に『偽満州国論』、『流行人類学クロニクル』(サントリー学芸賞)、『「核」論――鉄腕アトムと原発事故のあいだ』『戦争報道』、『NHK問題』など。

 

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