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[10]音楽の力――大熊ワタルとジンタらムータ

二木信 音楽ライター

 筆者が初めて体験したデモは2003年に東京・渋谷などで行われていたイラク戦争反対のデモだった。スピーカーやサウンド・システム(音響設備)をトラックの荷台に積み、DJが音楽をかけ、参加者めいめいが踊りながら、あるいは楽器を鳴らしながら練り歩くそれは、筆者にとってデモの原体験であり、音楽が社会的な影響力を持ち得ると実感した経験でもあった。

 以来、アンチ・グローバリゼーションを訴えるデモ、反貧困系のデモ、メーデーのデモ、「素人の乱」のデモ、その時々でテーマこそ違えど、筆者が参加したデモは常に音楽とともにあった。

 サウンド・デモというスタイルが、それまで関心のなかった若年層に、デモという社会参加の方法があることを教えた、その意味は大きい。だがある時期から筆者はサウンド・デモに対して否定的な気持ちを抱くようになる。盛り上がるから、若者が集まるからという理由だけで、スピーカーから大音量を垂れ流すようなデモが出てきたからだ。そこには沿道を歩く人々にメッセージを届けるという意識も音楽への愛情も感じられず、音楽は社会運動やデモの“道具”として使われ、当初は多くの人を呼び込む契機となっていたサウンド・デモは、いつしか閉鎖的な集まりになってしまっていた。

 震災後、「原発やめろデモ」の運営にかかわり、サウンド・デモをやると決まったときは多くの批判を覚悟した。街頭で大音量の音楽を鳴らせば、主張がどうあれそのやり方をよく思わない人は出てくるだろう。

 しかし、あの原発事故を経てなお、何事もなかったかのように元の日常に戻ろうとしていた東京、ひいてはこの国にインパクトを与えるには、やはり音楽の力が必要なのではないか。だからこそ反原発という主張を人々にしっかりと送り届ける表現力を持ったDJやミュージシャン、バンドをオーガナイズしなければならない。そしてサウンド・デモに対して為されるであろう批判を凌駕するくらいの共感を集めるデモをやらねばならない。そういう思いで、筆者は「原発やめろデモ」の運営に加わった。

4月10日の「原発やめろデモ」でのジンタらムータ。一番手前が大熊ワタル=畔柳ユキ氏撮影

 デモの閉鎖性を打開するという意味において、今回紹介する「ジンタらムータ」は、反原発デモで重要な役割を果たしている楽団だ。リーダーでありクラリネット奏者の大熊ワタル(52歳)とチンドン太鼓のこぐれみわぞうを中心とした10人弱の人々からなるジンタらムータは2011年4月10日、第1回目から「原発やめろデモ」に参加している。

 以来、東京の反原発デモの常連である彼らは、震災から1年という節目の日である2012年3月11日に「反原発首都圏連合」が主催したデモ「3.11東京大行進――追悼と脱原発への誓いを新たに――」でも演奏を繰り広げた。チンドン太鼓の牧歌的な音色やクラリネットの伸びやかな響きに、トロンボーンやチューバ、ギター、バイオリン、パーカッションといった楽器が加わって織り成されるアンサンブルは震災の犠牲者の追悼と脱原発という、ややもすれば重いテーマを掲げたデモを和ませ、また道行く人を思わず振り向かせていた。

 1960年、広島県で生まれた大熊は、ロックやジャズに触れながら20歳の頃にバンド活動を始める。しかし、20代半ばにチンドンやジンタといった音楽と出会うことで、クラリネットの演奏を始め、この国の街頭音楽のルーツを探りながら、94年頃に大熊亘ユニット、後にシカラムータと改名することになる自身のバンドを始動させる。ジャズをベースにチンドンやジンタをはじめ世界各地の民衆音楽を取り入れた独自の楽曲と演奏を主軸とするシカラムータに対し、機動力を活かすための少人数編成であるジンタらムータは、シカラムータの別働隊とでも言うべきバンドだ。

 大熊は長年、音楽と社会運動の現場を横断しながら活動してきたミュージシャンでもある。デモだけでなく、阪神・淡路大震災の際は、ロック・バンド、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットのメンバーとして被災地でクラリネットを吹き、東ティモール独立祝賀コンサートやヨルダン難民キャンプなどで慰問演奏なども行っている。

 そのような街頭での音楽活動を通じて、人々の心を揺さぶる音を追求し演奏してきた大熊は、やはりと言うべきか、4月10日、「原発やめろデモ」の出発前の公園に立っていた。ジンタらムータ+チンドン有志のバンマスとして、クラリネットを手に、最高にファンキーなサングラスをかけて。

 その場でジンタらムータは「不屈の民」を演奏した。この曲は、1973年、労働者階級から支持されたアジェンデ政権下のチリで生まれ、同年、ピノチェト率いる軍部のクーデターによって軍政が敷かれた後は、独裁政権と闘うラテン・アメリカの民衆の“革命の歌”となり、今では世界中の社会運動で歌われている。そして大熊がシカラムータでカヴァーし、街頭やデモで演奏してきた曲でもある。

 デモ出発前の公園で演奏された「不屈の民」を聴いた時、筆者は熱い涙が込み上げてくるのを抑え切れなかった。その場には、ソウル・フラワー・ユニオンや渋さ知らズといったバンドで活躍する百戦錬磨のミュージシャンやチンドンの楽士をはじめ、震災後の緊迫した状況の中、多くの演奏者たちが駆けつけていた。大熊も予期しない大編成となり、その場で初めて音を合わせる演奏者もいたという。

 大熊のクラリネットを合図にゆっくりと立ち上がった演奏は、中盤から一気にスピードを加速させ、混沌の中を最後まで走り抜けた。時おり揺れる音程やリズムは、むしろこの演奏に特別な力を与え、最初は演奏者たちを静かに見つめていた群衆を躍動させていた。大熊は、このように語る。

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