2012年06月04日
一週間程度の滞在で、ブータンのすべてをわかることはできないですし、私が見てきたのは一部だということはわかっていますが、国のリーダーたちのすばらしさは、その言葉使い、振る舞い、語る内容からあふれ出ていました。昨秋に来日したワンチュク国王が福島の子どもたちに龍の話をしたり、感謝の意を表現するのに「みなさん一人一人をハグしたいが、それはできないので、代わりに王妃を抱きしめます」と言ったりしたことなどと共通のものを感じました。そして、国のリーダーたちはみな、明確なビジョンをもち、それを実行していこうという強い意志をもっていました。
ブータンは前の国王、つまりワンチュク現国王の父親が1970年代に提唱した「GNH(国民総幸福)」を国是としています。物質的、経済的な豊かさだけではない、文化や伝統、環境などを保持していくバランスのとれた開発を目指すというものです。
憲法で森林は国土の6割以上を維持しなければならないと定められていますし、官公庁や学校などには「ゴ」「キラ」といった民族衣装で通わなくてはなりません。たばこも禁止です。信仰の対象である山も、登頂は禁止されています。目先の利益に走らない哲学がそこにはあります。日本なら「個人の自由の侵害だ!」とすぐに声があがってきそうなことかもしれません。
首都ティンプーでは教育大臣や政府のGNH委員会の方などにお会いしましたが、どなたにも自分たちが国をつくっていくんだという強い使命感と志を感じました。ワンチュク国王も「人民の国王」ということを意識し、時間さえあれば地方に出かけ、国民と対話をしているとのことです。実は今回は日本ユニセフ協会の視察に同行しての取材で、国王との面会がかなうかもしれないという可能性もあったのですが、残念ながら、国王が地方に行かれているということで実現しませんでした。地方に出かける王妃の乗った車とすれ違い、赤い「キラ」を着た王妃がほほえむ姿は、一瞬ですが、目にすることができました。
ブータンは2008年に絶対王制から立憲君主制に移行し、民主化を果たした国ですが、国民にとってどうしようもない変な国王が出てきたときのためにと、自ら国王の罷免権を国会に与えたという前国王は、さまざまな面で国のリーダーとして卓越した能力をもっていたと聞きます。王位も50代で自ら退き、息子である、いまの国王に譲っています。権力をもった人間はより権力を握りたくなるのが世の常です。それなのに、ブータンの国王は違ったのです。質素な生活を好むなど、さまざまなことに、国王自らが範を示しているのです。
本当に奇特な、すばらしい国王だ、とブータンの人も、ブータンで暮らす外国人も口をそろえます。このような国王のもとだからこそといえるのでしょうが、政治家や官僚、そして、学校の先生なども、みな偉ぶることなく、人としても魅力的で、立派な方が多いというのが、ブータンを訪れた印象です。日本の政治家や官僚は、その精神、哲学を学びにブータンに研修に行った方がいいのではないか、とさえ感じました。
ブータンが掲げる「GNH」は、ある意味、人間の欲望との闘いでもあります。ブータンでも1999年にテレビやインターネットが解禁され、若者たちに大きな影響を与えています。また、観光業が盛んになり、外国人が入ってくることでの影響も出てくるでしょう。首都では物乞いも見かけました。
人間が便利さや物質的な豊かさを求めることは、自然の欲望ですし、否定はできません。その人間の欲望を抑えながらでなければGNHは達成できないわけで、ブータンの良さがどれほど維持できるか、と私は少々懐疑的な思いを抱いています。いじわるな意味ではなく、良さを失ってほしくないとは思いつつ、人間の欲にあらがうことはそう簡単ではないと思うのです。
なので、ブータンでは会う人、会う人にブータンの将来の見通しを聞きました。豊かになる、便利になるという人間の欲望に勝つことはなかなか難しいのではないのですか、と。しかし、何年もブータンに住む日本人やあるいは外国人(ブータン人でない人たち)は、希望的な思いも込めて、と言いながら、「ブータンならできるのではないか」とみなが答えました。「なぜか」と問うと、「国のトップはもちろんだが、社会のリーダーたちが優れている」というのです。リーダーたちの手腕で、この国はブータン独自の発展をしていくのではないか、という見方でした。
そして、
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