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河野化山容疑者と残留孤児二世への眼差し

小野登志郎

小野登志郎 ノンフィクションライター

河野化山容疑者が中国残留孤児ではないかと聞いたのは、事故発生から2日後だった。知らせてくれたのは、某週刊誌記者。中国残留孤児の子弟が不良化した「怒羅権」など、わたしが日本に住む中国系の不良の取材をしているので、あんな悲惨な大事故を起こしてしまった残留孤児二世である河野容疑者は不良なのではないか、何か知っているか、ということだった。

 それを聞いて、河野容疑者について根ほり葉ほり中国系の不良から話を聞いたりして繋がりを調べたわけだが、その種の不良との接点を見つけることはできなかった。むしろ、彼のことを調べている記事や記者からの話を聞いていると、逆境にもめげず真面目に頑張ってきて、無理に無理を重ねての結末だった、との印象を受けた。

 中国残留孤児二世である河野容疑者の父は、黒竜江省・牡丹江出身で、93年に帰国している。河野容疑者も妻と一緒に20歳を過ぎた時点で日本に来て、94年に帰化した。彼らが他の多くの残留孤児と違っていたのは、河野家は肉親と再会できたことだという。帰国しても実際には頼る人間が少なかった残留孤児たちの中では、恵まれていたと言えるかもしれない。

 その後、河野容疑者は日本語を学びながら夫婦そろって食品会社で働き、こつこつと貯金をして07年に、自宅兼中華料理屋を購入する。そして09年、バス会社を経営しようとバスの運転免許を取得。次々と中古のバスを購入していた。報道を見る限り、順風満帆とまではいかないが、「真面目で努力家だった」と、彼を知る人間たちは口を揃えている。

 わたしのよく知る残留孤児の子弟で、その困難な境遇や様々な要因から不良化してしまった人間たちの道のりとは、また別の生き方だった。そんな河野容疑者が、白バス営業をやっていたことで再逮捕されたと報道されたとはいえ、7人もの命を奪ってしまった大事故を起こしてしまった男は、いわゆるその道の不良では無い。

 河野容疑者が、いわくつきの不良でなくて良かった、などと言っているわけではない。気になって仕方が無かったのは、他の中国残留孤児の子弟たちに対する世間のまなざしだ。

 拙著『怒羅権』(文春文庫)の解説で

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筆者

小野登志郎

小野登志郎(おの・としろう) ノンフィクションライター

1976年、福岡県生まれ。早大中退後、フリーのライターとして執筆活動を始める。在日中国人や暴力団、犯罪などについて取材し、月刊誌や週刊誌に記事を掲載している。著書に『龍宮城 歌舞伎町マフィア最新ファイル』『ドリーム・キャンパス』『アウトロー刑事の人に言えないテクニック』など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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