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マスコミは「許されない」病から脱却せよ

水島宏明

水島宏明 ジャーナリスト、上智大学文学部新聞学科教授

 またしても起きてしまった。通り魔による無差別殺人。白昼、大阪・ミナミの路上で通行人2人が見知らぬ男からメッタ刺しにされて命を奪われた惨劇は、犠牲になった人や遺族からすれば理不尽としか言いようがない。

 ナイフを手に走る犯人や血痕が残る現場の映像を生々しく映し出すテレビ番組では、スタジオ出演者が「許されない」を連発していた。「身勝手」「言語道断」「どうしようもない男」など犯人を断罪する。行政のトップも「死にたいなら自己完結しろ」とコメント(松井一郎・大阪府知事)。不条理な犯行に怒りを覚えるのは誰しも当然としても、テレビ報道で「お約束」のように同様の怒りの感情論ばかりオンパレードなのには違和感を覚える。「許されない」病とでも形容すべき言葉の羅列で時間が費やされる一方、本来伝えられるべき情報が伝えられていない、と感じるのは私だけだろうか。

 逮捕された礒飛京三容疑者(36)は、覚醒剤取締法違反で実刑判決を受け、刑期を満了して出所したばかりだった。逮捕後、「住む家もない」「仕事もない」「カネも残り少ない」「自殺したかった。人を殺せば死刑になると思った」と供述したという。生活困窮者支援の現場に関わる関係者なら思わずドキリとさせられる台詞だ。太字の強調部を除く部分までなら、頻繁に耳にする言葉だからだ。事件の背景に横たわっているのは社会の「貧困」や「排除」の問題だ。刑務所からの出所者も含め、生活困窮者に対して社会全体としてどう取り組むか、排除されている人をどう孤立させないかという課題だ。貧困の現場を知っている関係者ならばそう考えるに違いない。

 ホームレスなど生活困窮者の支援に取り組む女性弁護士を取材した時のこと。生活保護の窓口にもたびたび同行する彼女のもとには、刑務所を出所して行き場がなく野宿する人たちからも相談が寄せられる。「出所後に住む家がない」「所持金がわずか」「仕事が見つからない」などのSOSだ。

 こうした人たちが刑務所に行くきっかけは、野宿で空腹に耐えかねてコンビニで100円程度の菓子パンを万引きした、神社の賽銭を数千円盗んだ、無銭飲食した、など比較的少額の窃盗犯が多い。累犯者が多く、多重債務を経験した人も少なくない。生活保護など福祉サービスになかなかつながらない彼らから、「刑務所の方がまだまし。屋根があるし、食べ物もある」という声を聞くのは珍しくない。身寄りがなく出所後の受け入れ先がない場合、わずか100円程度の万引きでも執行猶予がつかない実刑判決を受ける場合が実際は多く、受刑も満期で刑期を終えるケースが大半となる。満期出所の場合、保護観察の対象となる仮釈放と違い、サポート体制が事実上ないに等しい状態だ。すぐ仕事が見つからない出所者も再犯にいたる割合は非常に高い。野宿と刑務所と行ったり来たりを繰り返すうちに自暴自棄に陥る。こうした「負の連鎖」は現場ではごくありふれた光景だ。

 そうした出所者には知的障害者や高齢者も少なくない。本来、福祉政策などで対応すべき人々が結果的に司法の対象になっている。福祉施設の替わりの刑務所。野宿と刑務所の往復を繰り返す知的障害者らと話をするたび、「本来、福祉で救うべき人ではないのか?」と疑問に思うこともしばしばだ。

 ミナミ無差別殺人を起こした礒飛容疑者のような犯行は残虐な殺人であり、これを貧困問題と同列に論ずべきではないという意見はあるだろう。人を殺める凶悪な犯行と無銭飲食など経済的な犯罪を一緒にするな、という主張もあるに違いない。だが、罪を犯した人間が出所して社会にもどった瞬間に住居や食べるものに事欠く状況に陥り、再び犯罪者になっていく、という構造的な問題は同じだ。社会の中でそうした人たちが無援状態で取り残され、事実上の犯罪者予備軍となっている。これに対して、行政が無策で問題を長いまま放置してきたという点でも同じ根っこに突きあたる。

 ミナミ無差別殺人の報道では、出所者の現状や出所後の受け皿の問題に触れたメディアも一部あったが、詳しい実態を特集したものは数えるほどだ。事件の残虐性や容疑者の身勝手さが際だつせいで、反発を恐れてのことなのだろうか。その結果、井戸端会議の域を出ないコメントが繰り返されるばかりで検証的な報道がほとんどない現状に終わっている。こういう機会にこそ報道機関は背景をきちんと調べ、制度の不備を問題化し、世論を喚起すべきではないだろうか。

 ミナミの事件のニュースを聞いて私が真っ先に思い浮かべたのが、2008年の秋葉原無差別殺人事件だった。「別におれじゃなくてもいいんだよね」。7人の命を奪った加藤智大被告がネット上に残したつぶやきには自己否定感が溢れていた。当時あれだけ大きく扱われた報道はいったい何を変えたのだろう。

 秋葉原事件で背景として浮かび上がったものに被告の「働き方」の問題があった。自動車部品メーカーの工場への派遣。数ヶ月程度の短い契約が繰り返されるなか、「もう来なくてもいいよ」といつ言い渡されるか分からない不安定さ。正社員、有期直用契約、古参の派遣社員、その下の派遣社員、請負社員など、複雑な身分差別のなかで荒みがちな人間関係。2003年に解禁された製造業派遣の問題性が構造的に浮き彫りになった。

 「俺が必要だから、じゃなくて、人が足りないから」

 「300人規模のリストラだそうです やっぱり私は要らない人です」

 事件を受けて、当時の自民党政権・舛添厚生労働相は「製造業派遣は原則禁止にすべきだ」と発言した。その後の労働者派遣法の改正はこの流れで進められるはずだった。しかし、今春、民主党政権下でようやく実現した法改正では、

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