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看護師殺害容疑者の「実家」をなぜ放映?

水島宏明

水島宏明 ジャーナリスト、上智大学文学部新聞学科教授

 6月22日(金)夕方・夜のテレビニュースは、各社とも4月に千葉県浦安市内のマンションで、仙台市の看護師の女性(23)が刺殺体で見つかった事件の報道に時間をさいていた。マンションの別の部屋に住む会社員(26)が前日、逮捕されていたが、その続報として、各局は容疑者の元同級生らにその人物像などをインタビューしていた。

 その中で私の心にひっかかったのが、容疑者の「実家」の映像だ。ニュース番組の中で、その一戸建てのたたずまいをはっきりと映し出しているテレビ局があったのだ。映像にボカシを入れたり、アップしか使わずにしたり、家を特定できないように配慮するテレビ局がある一方で、その家の全景をボカシなしで放映したばかりか、その家のすぐ前で顔出しレポートを撮影し放送する局もあった。筆者がそのレポートを見たのは、日本テレビの 夕方ニュース「news every.」だ。コメントする記者の後ろには、家の全景がボカシも入れられずにはっきりと映し出されていた。近くに住む人ならば、この家だと特定できるような映像だった。

 私自身も長い間、「テレビ記者」をしてきた。いろいろな場所でマイクを手にカメラと向き合い、記者レポート、つまり自分の顔出しを撮影してきた。ある時は事件があった現場の様子を伝えるために実況中継風に、ある時は伝えようとする国際問題のテーマを象徴するような場所で解説風に、自身の後ろに、建物や銅像、旗、市場、戦車、爆撃の跡などを背負いながら、レポートを繰り返した。その都度、何を背負って自分を撮影し、どんな言葉をコメントするのか、どんな身振りや動きをするのかも考え続けてきた。

 そんな経歴だからこそ、「実家」前のレポートは気になった。はたして容疑者の親が住んでいる実家の前でレポートする行為が、このニュースの報道に不可欠なものだったのだろうか、と疑問に感じた。

 第一に、実家は、容疑事実があった殺害現場ではない。第二に、実家は、容疑者が潜伏し逮捕された現場でもない。あえていえば、この日、警察の家宅捜索が行われた場所、というだけで、ひょっとすると証拠物件が出て来る可能性は残っているのかもしれない。とはいえ事件そのものは、容疑者が逮捕され、どこかの場所に危険性を周知する必要性もない。そうしたなかで、容疑者の親が住む「実家」の映像を、わざわざレポートまでして全国放映する意味はいったい何なのだろうか?

 いうまでもなく容疑者本人と違い、その親や兄弟姉妹などの親族は殺人事件とは無関係な人間たちだ。警察の捜査が入り、マスコミが押しかけるなど、一族は2日前からそれまでの平穏な暮らしが出来なくなっているに違いない。近隣の人たちからは「殺人容疑者の家族」と特定され、肩身の狭い思いをしていることだろう。だからといって、その家の映像を広い地域で放映され、より多くの人に特定されても良い、という理屈はどこにもない。

 家の中で息を潜めている親族はいったいどういう思いで過ごしているのだろう。撮影の時にそんなことが少しでも想像され、考慮されたのだろうか。家の外観をそのまま映し出すことで日本テレビ報道局として いったい何を伝えたかったのだろうか。

 記者はどういう意図でその家の前でレポートし、カメラマンがどんな意図で家の全景映像を撮影し、編集マンはどういう意図でボカシなどの加工をしない編集をし、どんな尺度でデスクやプロデューサー、その他の責任者が最終的に放映を許可したのか。

 親が容疑者の殺人などに荷担した疑いがある、とでも言うのだろうか? 親など家族を「さらしもの」にしてやろうという悪意の感情、家族に対する処罰感情が少しでもあったのだろうか。 あるいは、

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