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【復興リーダー会議】リーダーシップとは何か 村上陽一郎・東洋英和女学院大学学長

WEBRONZA編集長 矢田義一

 慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所(G-SEC、Global Security Research Institute)による「復興リーダー会議」は7月21日、東京・三田の同大キャンパスで4回目の議論を展開した。この日のセッションのひとつは、「リーダーシップとは何か」をテーマとする村上陽一郎・東洋英和女学院大学学長、東京大学名誉教授のスピーチと参加者らによる議論。村上学長は、古典を読み込んで身につける教養と自己研鑽で、リーダーは自ずと現れるという趣旨のスピーチを行った。ここでは、そのスピーチの内容を紹介する。村上学長は科学史、科学哲学に造詣が深い。フロアからは、「古典はどのように現代に通用するのか」「SNSが盛んになった現代のメディア環境でのリーダーシップとかつてのそれの違いをどうとらえるか」など、スリリングな質問とやりとりが続いた。その模様はまた後日、紹介したい。

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拡大村上氏のスピーチを聞く参加者ら

「リーダーシップとは」   村上陽一郎

 そもそもリーダーという概念が問題になり始めたのは、19世紀後半から20世紀にかけて、いわゆる大衆化という現象が進行した結果だと私は考えております。というのは、それまではリーダーというのは、いわば、天から与えられたものとして決められていたからです。アメリカは少し事情が違いますが、ヨーロッパでは、社会のリーダーとしての役割というのもあらかじめ決められているというように考えられていた。あるいは、エリート(elite)という言葉も、同じころからしばしば使われるようになります。本来の意味は、electという動詞と同根であることから分かるように、選ばれた人という意味です。この選ばれたというのは、天によって、あるいは、神によって選ばれたということです。基本的にはそのように運命づけられていたということです。

 19世紀後半から20世紀にかけては、大衆化の時代であるとともに、いわば民主主義化の時代でもありました。実は、ヨーロッパでデモクラシー(democracy)という言葉は、19世紀の30年代くらいまでは衆愚政治とまったく同義語であり、マイナスの意味でしか使われていなかったのです。

 例えば、アメリカには、建国を示すいくつかの有名な文書ががあります。最初がメイフラワーコンパクトという文書。この新しい地でどういうコミュニティーをつくるかということをお互い話し合い、こういうことでやっていこうと合意して契約を交わした。これがメイフラワーコンパクトです。当然、デモクラシーという言葉が使われていると思うと、使われていない。それから、独立宣言があります。いかにもイギリスの横暴を告発しようとしている文書でもあるのですが、その中でも、民意というものを大切にするという言い方はあるけれども、デモクラシーという言葉は使われていない。アメリカの憲法にも少なくとも最初には出てこない。それから、だいぶ時間が下りますが、南北戦争でのリンカーンの有名な演説。人民の人民による人民のための政治という言葉がありますけれども、やはりデモクラシーという言葉はありません。

拡大古典の果たす役割などについて語る村上陽一郎氏

 なぜか。デモクラシーは、デモスとクラシーです。デモスは大衆、クラシーは主義というよりはむしろ制度です。政治体制。つまり、大衆が政治を支配するという意味で、これは実際には、ギリシャ時代からの、古代都市から始まって、プラトンを絶望させた、つまりソクラテスを殺した、そうした故事を含めて、実は、きわめて危険な意味でしか使われていなかったのが実情なのです。

 そんなデモクラシーという言葉をめぐる状況に大きな変化を与えたのが、フランス人のトクヴィルです。彼が1837、8年に刊行した「デモクラシー・イン・アメリカ」です。アメリカを視察した時に見聞したことをもとに、アメリカではデモクラシーという概念が上手に使われているらしいと言ったのです。そこから、デモクラシーという言葉があるプラスの意味をもって使われ始めたのです。

 詳しくは、トクヴィルを読んでいただければいいのですが、ひとつ指摘すると、その中では、アソシエーションという最も重要なキーワードが出てきます。要するに、一人一人の人間が自らの意志をもって他者と手を結び、ひとつの公共的な目標に向かって、自分たちの意志を実現するための活動をしようとする。アメリカではこれが、宗教でも、趣味の分野でも、学校でも、さまざまなレベルのさまざまな次元で実に積極的に行われている。こうしたことがデモクラシーという概念を成功させるもっとも重要なことであるとトクヴィルは指摘しています。まさにそれは、今のアメリカを肯定するか、否定するは別にして、アメリカ社会の特徴であるということはできるでしょう。

 さて、冒頭でお話しした大衆化への流れですが、それは様々な事象で跡づけることができます。ここでは、以下の六つを例示しましょう。

(1)写真機とフィルム

(2)映画

(3)Model-T

(4)放送

(5)ルネ・ラリックとアール・デコ

(6)近代的国家戦争(徴兵)

 これら六つです。

 (1)の写真機とフィルムは、欧米で一般的な家族の写真を部屋や机に飾る習慣に関係します。これはかつて、貴族だけの特権だった祖先、親族の肖像画を有名な画家に描かせて飾る習慣を、写真によって誰でもできることとして大衆化されたということを意味します。

 (2)の映画は、(4)の放送とも関連しますが、1人の人間が非常に多くの人に語りかけることが可能になったことです。特に、ブロードキャストは広く、投げかけるというのが本来の意味であることからも明らかでしょう。

 そして、(3)のModel-T。言うまでもなくT型フォードですが、これは若者にも買える価格だった。それがアメリカの若者の性道徳を変えたという人までいます。大衆化現象の鮮やかな例です。それまでは、馬と厩(うまや)、馬丁(ばてい)、馬車。個人がは持てなかったこららのものを、大衆がそれと同じ役割をはたすものを手にいれたのです。

 (5)ルネ・ラリックは、宝飾ではなくガラス細工のデザインを発表したことで、画期的と言われています。高価な宝飾ではなく、誰でもが買うことができるものに最先端のデザイン性を与えたのです。

 最後に(6)近代的な国家戦争。第一次世界大戦が典型ですが、それまでは戦闘のプロたる傭兵による戦争だったが、それが変わり、徴兵制による戦争に変わった。徴兵による総力戦です。なぜ、これが大衆化なのか。日本の場合もそうでしたが、ある方が書いていますが、「厳しい訓練。大変だね」と兵士に言うと、兵隊が異口同音に、「とんでもない。極楽だ」という。軍隊が極楽。つまり、自分たちはこれまで農民として畑や田んぼで働いても食うや食わずの生活を続けてきたが、軍隊では三食保証され、訓練は一日何時間かで、後は寝るとこもきちんと保証されている。これは極楽だというわけです。初期の徴兵制の軍隊はそんな意味をもっていた。そしてこれはやはり、そこで訓練を受けるということで、それまでまったく初等教育を受けられなかった人たちも、ある程度の教育を受けることにもなる。これは欧米、日本とも同じです。軍隊は、一般大衆がある種の生活を保障されるということでした。あえて言えば、そういう恵まれた状況を知らしめ、期待させることになったのです。

 こうした大衆化とは、19世紀から20世紀初頭にかけて、特別な人たちが特別なかたちで役割果たしていたことが一般化する現象といえます。これは欧米のみならず、日本でも起こります。それに対して、オルテガは、「大衆の反逆」という有名な本を書きます。

彼によると、

 大衆から見たエリートは、

 ・自分は他者より遙かに優れた者だと僭越にも信じて行動する人間

 日本にもこの意識はあり、エリートという言葉はしばしば揶揄の言葉としても使われます。

 他方、オルテガに言わせれば、エリートとは、

 ・他の人々以上に、自分に対して多くを、また高度な要求を課す人間

 これをエリートだと定義した。

 私もこのオルテガの定義は受け入れられるべきものだと考えています。

 一方、オルテガは大衆をどうみているかというと、

 ・皆と違わないことをもって、安心し、その流れに抵抗なく身を置く人間

 つまり、 ・・・ログインして読む
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