2012年08月04日
五輪の豆知識で知る方も多いかもしれないが、五輪において日本が最初にメダルを獲ったのはテニスである。1920年アントワープ五輪の熊谷(単複)、柏尾(複)両選手の銀メダルは、当時は金メダルを獲りそこなった(上位を占める米国勢が出場しなかった)として国内からの批判が強かったという。この直後から、功を成したトップ選手(アマチュア)が「テニスサーカス」のプロに転向しはじめる時代となり、1967年までは全豪・全仏・全英・全米の四大大会もプロを締め出して運営されていた。アマとプロの確執を約40年引きずったのち、1968年のオープン化以降、世界レベルのテニス選手は事実上全員プロとなり、1970年代にはプロ選手の労働組合的組織によるワールドツアーがほぼ現在の形で確立された、という歴史を持つ。
折しもアマチュアリズムの運営による構造的赤字を抱えてきた、五輪という国家的お荷物イベントは、1984年のロサンゼルス五輪で米国主導の大改革を行い、商業ベースの運営と、その集客力の源泉としてプロ選手へのオープン化を打ち出した。サッカーよりも野球よりも早く、この尖兵となったのが、ロス五輪で公開競技として60年ぶりに復活したテニスであった。しかし現在のロンドン五輪に至るまで大会の賞金はゼロ、ランキングポイントは獲得できるが、年間のツアー(世界トップクラスが出るのは30試合程度)では男女とも15番目程度の位置づけの大会であり、歴史の重みも、四大大会(100年以上継続)、国別団体戦(男子は100年以上継続)などに比べれば軽い。何よりも
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