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[1]果てしなく続く農民と漁民の争い

永尾俊彦 ルポライター

■司法の「自殺」を望む長崎県

 農民が求めている開門差し止めの仮処分は、まだいつ決定が出されるかは分からない。前出の掘弁護士は、もし確定判決に反する開門差し止めを認める決定が出されたら、「司法の自殺行為です」と言う。とすると、長崎県は司法の「自殺」を望んでいることになる。

 ただ、もし長崎地裁で開門するなという仮処分が出されたら、開門せよとの福岡高裁の確定判決と並立することになる。この場合、どちらを取るかはそれこそ国の「政治判断」になる。そして、開門しなかったら漁民側が、開門したら農民側が強制執行をかける権利を持つ。

 強制執行には、直接強制と間接強制の2種類がある。もし開門しなかった場合、漁民側弁護団は、当初は直接強制として、裁判所の執行官が現場の職員に開門の操作をして海水を調整池に入れるよう命ずることを求めるとしている。それを裁判所が、開門準備が整っておらず、被害が想定されるなどとして認めなかった場合は、間接強制として判決を履行させるのに十分な圧力となる高額の違約金を請求するという。

 だが、その場合も法的には間接強制としての違約金を支払えば、国は開門しなくてすむ。しかし、そんなことが通るのなら、国に都合の悪い確定判決はすべて金を払って履行せずにすむことになってしまう。

 逆に、長崎地裁で開門するなという仮処分が出されたのに国が確定判決に従って開門した場合、今度は農民側が同様の権利を行使することになる。

 いずれにしても、農民と漁民の争いは果てしなく続く。

■「農漁共存」を望む漁民、拒否する長崎県

 この干拓の起源は、水田造成を目的に1952年に発表された長崎大干拓構想までさかのぼる。これは、1964年に長崎干拓事業として着工が認められたが、漁民の反対と減反政策が始まったことで頓挫し、水資源確保と畑作に目的を変えて1970年に長崎南部地域総合開発事業(南総)として再出発した。だが、これも漁民の反対で中止された。

 それでも農水省と長崎県は諦めず、今度は1982年に起きた長崎大水害を契機に洪水対策や排水不良の改善などの「防災」を主目的に、漁民の反対を補償金で切り崩して現在の諫早湾干拓事業として再々出発した。

 だから、農水省と長崎県によって漁民と農民は半世紀以上も対立させられてきたのだ。この争いを、農水省と長崎県は一体いつまで続けさせるつもりなのか。

 長崎県雲仙市瑞穂町でノリ養殖を営む室田和昭さん(69)の漁場は排水門から約5キロだ。有明海のノリ漁民の中で最も排水門に近いが、ノリの芽が網に付着しない「芽流れ」で今季の生産量は昨季の3割に落ち込んだ。

 かつては日本一広大で自然の浄化槽の役割も果たしていた諫早干潟が潰されて造成された調整池には、流入河川から生活廃水や農業廃水が流れ込み、毎年夏にはアオコやユスリカが大量に発生する。その汚濁水が雨がふるたびに排水門から排水される。この排水が、「芽流れ」の原因だと室田さんは見ている。アオコとユスリカは今夏も発生した。

 ただ、室田さんは一方的に開門すればいいとは考えていない。長年にわたる漁民と農民の争いに終止符を打つために、「県の知事さんは、農業者と漁業者の言い分を聞いて、双方にとっていい方に舵取りするのが長の務め」と話した。

 漁民側は「農漁共存」をスローガンに掲げ、農民側と話し合い、開門のための知恵を出し合い、双方にとってよい開門方法を話し合う場の設置を知事に求めている。だが、知事は「開門阻止の訴訟が起こされているので、県としてはそれを見守る」として拒否している。開門のタイムリミットは来年12月だが、漁民側は来年5月の開門を求めている。ノリ漁の始まる9月前には開門し、その後漁場が落ち着くまでの時間を考えてのことだ。今後、開門をめぐる攻防はいよいよ大詰めを迎える。

 この連載では、農民や漁民の暮らしはどう変わったか、環境はどう変わったか、そして「走り出したら止まらない」と言われた巨大公共事業を見直させるまであと一歩に迫った力は何だったのか、などの観点から諫早湾干拓事業を検証する。

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筆者

永尾俊彦

永尾俊彦(ながお・としひこ) ルポライター

1957年、東京都生まれ。毎日新聞記者を経てルポライター。1997年の諫早湾の閉め切りから諫早湾干拓事業を継続的に取材。主な著書に『干潟の民主主義――三番瀬、吉野川、そして諌早』(現代書館)、『ルポ 諫早の叫び――よみがえれ干潟ともやいの心』(岩波書店)、『公共事業は変われるか――千葉県三番瀬円卓・再生会議を追って』(岩波ブックレット)など。