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[7]優勝候補を破った浦添商“新米監督”の采配

深澤友紀 AERA編集部記者

 近年、甲子園に名将を次々送り込んでいる沖縄高校野球界から、今年もまた個性的な監督が甲子園にデビューした。

 浦添商の宮良高雅監督(43)。高校野球の指導者としては、わずか1年4カ月の“新米監督”だ。2011年4月に同校に赴任する前までは、約15年間特別支援学校に勤務し、野球の指導とは縁がなかった。

 しかも初戦の相手は大会ナンバーワン左腕・濱田達郎擁する愛工大名電(愛知)。センバツ8強で優勝候補の一角だ。下馬評でも「名電有利」と言われていた。

 だからこそ、試合前、宮良監督は選手たちに言った。

「注目校とやれるなんて幸せなことじゃないか。楽しんでやろう。そして浦商の日にしよう」

 そしてその言葉通り、浦添商の選手たちは夢の舞台を楽しんで、6-4で愛工大名電を振り切った。

浦添商の宮良高雅監督(左)=撮影・筆者

 宮良監督にとっても、甲子園は夢の場所だった。

 沖縄本島から400キロ離れた石垣島に生まれた。甲子園を目指し、15歳で島を離れ、那覇市の興南高校に進学。チームメイトに友利結(現在、横浜DeNAベイスターズコーチ)、名幸一明(現在、プロ野球審判員)らがいる中で4番に座る強打者だったが、3年連続、沖縄大会決勝で沖縄水産に敗れ、甲子園出場の夢はかなわなかった。

 その後、専修大で大学野球に打ち込み、「指導者になって甲子園に出場する」と新たな夢を抱いて、仙台大で野球部コーチをしながら教職免許を取得した。

 ところが、教員生活の振り出しは八重山養護学校(現特別支援学校)だった。

 特別支援学校の児童・生徒たちは、障がいの種類も重さもそれぞれ違う。宮良監督は子どもたち一人ひとりの能力ややる気を引き出そうと、教員同士でバンドを組んで学校のイベントを盛り上げたり、生徒が書いた詩に曲をつけてCDを自主製作したり、「目の前の子どもたちのことで精いっぱいだった」。いつしか野球への情熱も薄れていた。

 そんな中、昨春、浦添商への転勤が決まった。

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