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 オリンピックを見ながら改めてスポーツにおける審判の役割について考えてみた。たとえば、なでしこの女子サッカー決勝ひとつとってみても、前半30分の宮間のフリーキックをアメリカのディフェンスが「故意に」手に当てて落としたシーンなど不可解な判定は枚挙にいとまがなかった。ボールが勢いで手に当たったというのとはちょっと違う。みんなが一斉にハンドの反則を指摘して手を挙げたが、ドイツの女性審判は簡単にスルーしてしまった。決勝の笛を吹くくらいだから下手な審判ではないのだろうが、翌日のドイツの新聞『ヴェルト』紙もこの自国の審判を強く批判しているし、ニューヨーク『デイリーニュース』紙も「(主審が)反則だとはっきり分かる位置にいたにもかかわらず、笛を吹かなかった」と書いている。それ以外、後半開始2分の日本のコーナーキックの時にDF熊谷が背後から手を回され身体を抱きかかえられたシーンなどあって、インターネットには非難の書き込みが殺到したのだった。

 この試合ではなかったが、勢いでちょっと足をひっかけてしまっただけでペナルティーをとられることもあるし、抱きかかえてもお咎めなしということになれば、なんとも不公平感は否めない。ボールがサイドラインを割るときに相手側のボールにされるケースなど日常茶飯事だし、

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筆者

植島啓司

植島啓司(うえしま・けいじ) 植島啓司(宗教人類学者)

宗教人類学者。1947年、東京生まれ。東大大学院人文科学研究科博士課程修了後、シカゴ大学大学院留学。NYニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ客員教授、関西大教授、人間総合科学大教授などを歴任。著書に『偶然のチカラ』『心コレクション』『日本の聖地ベスト100』など。競馬通で阪神タイガースのファン。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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