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[17]高校野球史は痛恨の1球に泣いた選手の歴史

内山賢一 フリーライター

 高校野球を観ていると、胸がつまって息苦しくなることがある。終盤に1点を争う展開や土壇場での逆転劇などの緊迫した試合だ。もちろん見応えはあるのだが、1球で明暗が明暗が分かれそうな展開に、気弱な私の精神は耐えられず、本気で「どっちも勝て」と願ってしまう。

 今大会は2回戦まで終了して全33試合のうち1点差ゲームは6試合。なかでも1回戦の旭川工(北北海道)と龍谷大平安(京都)の試合は、息苦しい試合ベスト1だった。

 旭川工は、2点リードで迎えた9回裏2死走者なしから四球と連打で同点にされ、延長11回にサヨナラ負けを喫した。勝利まであと一歩。名勝負だった。

拡大試合に敗れ、グラウンドを引き揚げる旭川工の選手たち

 試合後、9回に同点打を浴びた旭川工・太田竜良投手は泣きじゃくっていた。打たれた球を聞いても「どんな球を投げたかも覚えてないです」。さらに「自分があとひとつ(アウト)取っていれば、校歌を歌えたのに」と自分を責めた。

 勝負とは、必ず勝者と敗者に分かれると承知しているが、このような光景を目の前にするのは、正直言ってつらい。彼がいつか「痛恨の一球」を笑って話せるようにと願わずにはいられなかった。

 振り返ってみると、高校野球史は1球に泣いた選手の歴史でもある。

 14年前、延長15回の熱戦を演じ、サヨナラボークに泣いた投手がいた。サヨナラの瞬間に頭が真っ白になり、整列したときもインタビュールームでも、どんな言動をしたのか思い出せないほどの衝撃だったという。ボークの原因を知ったのも宿舎に帰ってからだった。 

 数年後、あの試合について取材を受けてくれた彼はこう振り返った。

「もちろん、勝った試合で取り上げられるのが一番だと思いますが、あの試合のおかげで、誰かが自分を覚えていてくれて、話を聞きにきてくれる。甲子園に出場しても忘れられてしまう人がほとんどなのに。こうして取材されることは、あの時代に自分が確かに高校野球を一生懸命やったという証でもあると思うんです。これを今でも実感できるのは、選手としてとても光栄なことです」

 その言葉に救われる思いがした。

 28年前には、唯一打たれた安打がサヨナラホームランという、信じられない結末を迎えた投手もいる。9回を奪三振9、四球1の完璧な投球でノーヒットノーランに抑え込み、0-0で迎えた10回裏の先頭打者が「目をつぶって」振った打球は、左中間ラッキーゾーンにポトリと落ちた。カーブのサインに首を振り、自ら要求したのはスライダー。そのスライダーが真ん中高目に浮いてしまった。

「サイン通りにカーブを投げておけばよかったなと、地元に帰ってからもしばらく悔やんで寝られない日が何日もありました」

 と当時の心境を語り、こう結んだ。

「でも、あれでよかったんです。有終の美を飾れた。親父なんて、あれで勝ったら人生狂ってたと言ってました。調子コキがもっと調子コキになると。自分もやっぱりそう思いますね。社会に出てからパワーや精神力を与えてくれるのが甲子園のプレーでした。俺はあそこであれだけのプレーができたんだからと、思い返すことで改めて自分を信じることができ、くじけそうな自分の背中を押してくれた。だから困難も乗り越えることができ、今があるんです。甲子園の思い出は私の宝物です」

 取材後、二人で酒を酌み交わすと「あんとき

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筆者

内山賢一

内山賢一(うちやま・けんいち) フリーライター

1969年生まれ。歴史や旅行、スポーツ、ビジネス、エンタメ系など、興味があることなら何でも引き受けてしまう、悪食的よろずライター兼編集者。幼少から高校野球に惹かれ、以後はテレビにかじりつき、関連本を読み漁るなど、高校野球ウォッチャーを続けてマニア歴38年目に突入。高校野球関連では「Circus」「週刊朝日増刊甲子園」「甲子園Heroes」、ベースボールマガジン社のムックなどで執筆している。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです