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[19]バンカラ応援の伝統と済々黌の「伝道師」たち

佐々木亨 スポーツライター

 「バンカラ」という言葉は、ちょっとこじゃれた西洋風の格好を意味する「ハイカラ」に対して生まれたと言われている。武士道に近い男気溢れる心を備え持ち、身なりはいっさい気にしない。それが、バンカラ精神だ。

 今年の夏、18年ぶりに甲子園に帰ってきた済々黌(熊本)のアルプスには、そんな精神を受け継いだ応援団の姿があった。

拡大済々黌の応援団=撮影・内山賢一

 つぎ接ぎだらけの学ランと学帽。足元は、素足に太い鼻緒がついた下駄を履く。チアリーダーを中心とする華やかな応援が主流となっている今の甲子園では、バンカラ応援はやはり異質に映った。

 だが、逆にそれがいい。伝統校ならではの応援風景は趣があり、今となっては新鮮だ。

 もともと、着古した学ランや学帽を身につけて、腰に手拭いをぶら提げるバンカラスタイルは、旧制高等学校の学生の間で広まっていったとされている。その姿を旧制中学校の学生らが真似をして、その後、各校の応援団がその流れを受け継いできた歴史がある。最近では、ずいぶんとバンカラ応援が減ったという話を聞くが、各県の伝統校の中には歴史を継承する高校がいくつかあるのも事実だ。

 その数は、特に東北地区に多い。岩手県には、いかにもバンカラという雰囲気は色褪せた感はあるが、盛岡一、一関一、福岡、水沢といった公立校に、今でも継ぎ接ぎの学ランやハカマ姿の応援団が現存するものだ。たとえば、県北部の二戸市にある福岡のバンカラ応援は、かつて甲子園でちょっとした話題になったことがある。

 1985年、夏。5年ぶりに甲子園出場を果たした福岡のアルプスは、異様だった。

 その当時、1901年創立の福岡には男子生徒は全員丸坊主という学校の決まりがあった。クリクリの坊主頭が踊る光景だけでも珍しいが、よぼよぼの学ランを着た応援団員がアルプスに仁王立ちし、その中心で野太い声を張り上げるハカマ姿の応援団長の姿は不気味な雰囲気すら醸し出していた。青々とした坊主頭。顎には、たわわに育ったヒゲが伸びる。

 どう見ても高校生とは思えない風貌の硬派を地でいく男たちは、めったなことがなければ笑わない。まさに、バンカラそのものだった。

拡大福岡(岩手)の応援団=2007年の岩手大会で

 また、その年にテレビの特集番組でも紹介されたが、福岡応援団の「暑中行軍」も、当時は注目されたものだ。福岡では、応援団長を応援団幹事と呼ぶ。その幹事を先頭に、岩手県大会を前に24時間かけて初戦が行われる球場に徒歩で入る慣わしだ。

 野球部のために、また、野球部の苦しさを分かち合うために始められたとされる暑中行軍は、二戸市から岩手のメイン球場である岩手県営球場まで約80キロ離れていることから「80キロ行軍」とも呼ばれている。

 時代は変わり、福岡の応援風景は威圧感が薄れたが、県内では「福岡高=バンカラ応援」のイメージは今もなお色濃く残り、暑中行軍も続けられている。

 伝統校ならではのバンカラ応援。今夏、その姿を見せてくれた済々黌は、1882年創立で、熊本県内でもっとも古い公立校だ。

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筆者

佐々木亨

佐々木亨(ささき・とおる) スポーツライター

1974年、岩手県生まれ。スポーツライター。雑誌編集者を経て独立。。著書に『あきらめない街、石巻 その力に俺たちはなる』(ベースボール・マガジン社)。共著に『横浜vs.PL学園――松坂大輔と戦った男たちは今』(朝日文庫)、『甲子園 激闘の記憶』(ベースボール・マガジン社新書)など。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです