水島宏明
2012年08月28日
山本美香さんとはテレビ特派員として紛争地域を取材している頃に知り合った。同時多発テロの後、アメリカによるアフガニスタン空爆とタリバン政権崩壊時のカブールで―。フセイン政権を崩壊させたイラク戦争直後のバグダッドで―。
どちらも戦闘状態がまだ続き、権力の空白による混沌で、外に一歩出るのも命がけの現場だった。当時、日本テレビ系列のベルリン特派員だった私はこうした紛争地に志願して赴いていた。銃声や爆発音が鳴り響く環境で山本さんも私も広い意味で「日本テレビ取材チーム」の一員として仲間とともに飯を食べ、取材の打ち合わせをした。フリージャーナリストが集まったジャパンプレスという団体に所属する山本さんは、その同僚で私生活上のパートナーでもある佐藤和孝さんと共に、ある時期から日本テレビの紛争取材には欠かせない存在になっていた。戦闘状態やテロの危険性などを冷静に分析して用意周到に行動する2人の様子は、戦争取材に慣れていなかった私たち記者にとっては見ているだけで勉強になった。
テレビ局の「社員」は、戦争開始などで現地情勢が不穏なものになって日本の外務省が危険だと警告すればすぐに本社から退去命令を出される。それに比べ、山本さんたち「フリー」はテレビ局にとっては例外扱いで、戦争のど真ん中を目撃して報道することができた。それが私にはうらやましかった。同時に、正直に言えば、うとましくもあった。なぜならジャーナリストとして同じように報道の仕事をしているのに、もっとも危険だが、もっとも醍醐味のある現場はフリーの人たちが独占し、社員は撤退を余儀なくされ、立ち会うことができない。フリーに問題があるのではなく、そのような使い分けで社員の安全ばかり優先する会社組織に対する「うとましさ」だった。社員である戦場ジャーナリストが戦争開始から終結まで現地カバーするのが一般的な欧米のマスコミと比べ、日本のマスコミの、ふだんは社員が前面に立つのに危険な時だけ体よくフリーまかせにするダブルスタンダードのやり方に違和感を覚えていた。
「戦争などもっとも危険なタイミングでの現地報道は、仮に戦闘に巻き込まれて命を落としても補償が出ないフリーではなく、いざとなると会社が補償してくれる社員こそが、担うべきではないのか?」。そんなふうに私は感じていた。その思いは今も変わらない。
山本美香さんは過酷な現場にいても笑顔を絶やさなかった。現地で会った時には日本人だと分からないように、イスラム女性のように長いベールで頭や顔を覆っていた印象が強い。土ぼこりが舞う殺伐とした戦地では穏やかな美しさがひときわ輝いていた。
山本さんとすごく親しかったというわけではない。でも、
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