2012年08月22日
今年1月には全国高校サッカー選手権大会でベスト8入り。私の在学中は「パラダイス」の異名を取っていた母校も、ここ最近は有数の進学校となった。同大会では「サッカーも大学も“目指せ国立”」と報道され、出来の悪かった卒業生としては鼻高々だ。
ところで市西では毎年7月、2年生の女子を対象にプラカード嬢のオーディションが行われる。当時は155センチ以上という身長制限があった。入学時からプラカード嬢に憧れている女生徒も多く、「市西に入るために越境入学してきた」「体育の先生の覚えをよくするために、わざわざ体育会系の部活をしている」といった噂がまことしやかに流れるほどだった。
当時から素直さに欠けた私は、応募の意志が全くなく、そんな様子を他人事のように眺めていた。しかし、母に「せっかく市西に入ったのに、オーディション受けないの?」と責められた。父も市西出身で、在学中の1963(昭和38)年に市西が全国大会に出場し、甲子園で必死になって応援したこともあり、言葉にせずとも「何でオーディションを受けへんのや」と思っていたようだ。
というわけで、私も重い腰を上げざるを得なくなった。
オーディション当日、応募した女生徒は体育館に集合。ミスコンテストで使うような、丸いプラスチックの番号札を腰に付け、プラカードに見立てた竹の棒を持って体育館を一周させられる。ところどころに体育の先生が立っており、行進する女生徒を鋭い目で見つめながら、紙に何かを書き込んでいた。
数日後、いよいよ合格者の発表だ。まるで受験の時のように合格者の番号が書かれた紙が張り出された。私もオーディションを受けた友人たちと一緒に発表を見に行った。体育の先生が紙を張り出すと同時に、女生徒の悲鳴が響き渡った。倍率は約2倍。感極まって泣き出す女子もいた。そして私は……。
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