メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

WEBRONZA2周年記念シンポジウム 第一次産業の復興と東北の課題(1/2) 飯田泰之×勝川俊雄×浅川芳裕

WEBRONZAは7月、創刊2周年と、「WEBRONZA×SYNODOS 復興アリーナ」のローンチを記念するシンポジウムを東京・青山で開きました。この「復興アリーナ」は、被災地と日本の回復や復興の動きに、情報と言論によって参加していく試み。シンポでは、震災・事故後、被災地に関わってきた若手論客たちが一堂に会し、減災や支援のあり方、産業の復興、報道の役割などをめぐって徹底討論しました。

今回は第二部、「第一次産業の復興と東北の課題」をお届けします。飯田泰之さん、勝川俊雄さん、浅川芳裕さんの3人が主に漁業と農業の復興をめぐって議論を展開しました。3氏のプロフィールは以下の通りです。

WEBRONZA×SYNODOS復興アリーナはこちら

飯田泰之(いいだ・やすゆき)

1975年生。エコノミスト。専門は経済政策・マクロ経済学。東京大学大学院経済学研究科満期退学。駒澤大学経済学部准教授・財務省財務総合研究所客員研究員。主な著作に『経済学思考の技術-論理・経済理論・データで考える』(ダイヤモンド社)、『ダメな議論』(筑摩新書)、『脱貧困の経済学』(共著、自由国民社)など。

勝川俊雄(かつかわ・としお)

1972年、東京生まれ。三重大学生物資源学部准教授。東京大学海洋研究所助教を経て、2009年より現職。専門は、水産資源管理、水産資源解析。日本漁業の改革のために、業界紙、インターネットなどで、積極的な言論活動を行っている。

浅川芳裕(あさかわ・よしひろ)

1974年、山口市生まれ。月刊『農業経営者』副編集長カイロ大学文学部東洋言語学科セム語専科中退後、ソニーガルフ(ドバイ)、ソニーモロッコ(カサブランカ)勤務を経て、農業技術通信社入社。著書に『日本は世界5位の農業大国』(講談社)、『日本の農業が必ず復活する45の理由』(文藝春秋)、共著に『農業で稼ぐ! 経済学』など。農業情報総合サイト『農業ビジネス』、ジャガイモ専門誌『ポテカル』の編集長を兼務。

 

第一産業の復興と東北の課題

飯田 「復興アリーナ」ローンチシンポジウム第二部では、第一産業の復興と東北の課題について考えていきたいと思います。

重被災地である岩手、宮城、福島の三県は、他県に比べて第一次産業の産業シェアが高い県として知られています。東日本大震災では、このような日本全体の食料供給基地のひとつが甚大な被害を受けてしまいました。

飯田泰之

当該地域では、第一次産業には分類されないものの、第一次産業と密接に関わりのある食品加工業や流通業も大きな地位を占めています。第一次産業の復興を考えるとき、第一次産業そのものの復興だけでなく、こうした周辺にある産業についても同時に考えなくてはいけません。

さらに、特に沿岸部では、第一次産業での活動がコミュニティを形成の核であった点にも注目する必要があります。経済・社会双方の核になっている第一次産業をどのように立ち上げ、それによって裾野である加工業、さらにはコミュニティを立ち上げていくのか。これは当該地域の復興を考える上でも、また今後の崩壊の危機を迎えることが予想される日本全国の地域経済・地域コミュニティにとっても大きな意味があると言えるでしょう。

そこで今日は、農業、漁業を語っていただくのに最も相応しい方と思いまして、雑誌『農業経営者』副編集長の浅川芳裕さんと、三重大学生物資源学部准教授の勝川俊雄さんにおいでいただきました。

■マクロの視点でみた第一次産業の被害

飯田 まず勝川さんから、今回の東日本大震災の漁業に関する被災状況について、最初はマクロの視点でお話しいただければと思います。

勝川 今回の地震と津波によって、農林水産に莫大な被害がでたことは皆さんもご存知かと思います。実際にどのくらいの被害があったのかというと、少し前に推定された数字では、金額にして2兆3000億円程度の被害がありました。阪神淡路大震災の農林、水産の被害額900億円と比較しても、被害の大きさがよくわかると思います。特に津波による被害が大きく、漁業はだいたい1兆2000億円くらい。農業が8000億、林業が2000億くらいの試算になっています。

勝川俊雄

岩手県、宮城県は第一次産業が盛んというイメージがありますが、実は県内総生産に占める第一次産業の割合は、岩手県が4%、宮城県が2%に過ぎません。経済全体からみると、一次産業はあまり大きなウェイトを占めていない。しかし、これ無しでは成り立たない地域が多数存在します。例えば三陸沖のリアス式海岸は、交通のアクセスは悪いし、平地も少ないので、漁業以外の産業は成り立ちづらい。漁業が無ければ、人が住めない場所が多くあります。ですから漁業をきちんとしたかたちで復興していくことは、多くの集落を守るといった意味でも重要なことなんです。

飯田 ありがとうございます。では、浅川さんからもまずはマクロの視点からみた農業への被害を説明いただきましょう。

浅川 日本全体には460万ヘクタールほどの農地がありますが、今回、津波の被害を受けたのは2万4000ヘクタール、つまり日本全体の0.5パーセントくらいです。東北には農地がだいたい90万ヘクタールあるので、2パーセント強が被害にあっていることになります。また県別にみると、宮城県は沿岸部に水田が多いため最も被害が大きく、宮城県全体で10パーセントくらい。岩手県と福島県はそれぞれ数パーセントになります。

さらに個別で被害を見ていくと、3県で約3万農家が津波や液状化などによる被害を受けています。農地は設備産業なので、ビニールハウスの損壊や、水路やダムなどのインフラ、周辺設備の損害もありました。

■ミクロの視点でみた第一次産業の被害

飯田 実際に被災地に入ってみると、思わぬところで農地の被害がでていることがわかります。もともと比較的水利がよくなかった土地では、灌漑をして水路を確保することで農業を可能にしています。このような農地の多くはいわゆる重被害地域ではないけれど、水路が破壊されたために水田が利用できなくなってしまっています。

メディアはどうしても津波を実際に被ったところに注目してしまいますが、このような細々とした被害もたくさん出ているんですね。それらが積み重なることで、当事者にとって大きな影響になっているのだと思います。

お二人は実際に被災地でいろいろな被害を見てきていらっしゃると思います。次はミクロな視点、お二人の経験という視点から見た被災地の状況をお伺いしたいと思います。

勝川 漁村地域では、津波と地盤沈下によって生産がほぼストップしています。

漁業は水揚げだけでなく、加工や冷凍などの設備があって、初めて成り立つものです。宮城県では、漁業者よりも加工・流通業者のほうが多かったのです。多くの加工流通施設は、津波によって流されてしまいました。さらに、地盤沈下によって土地そのものが使えなくなっていしまっています。この状況からどうやって戻していくのか、そもそも戻すことができるのだろうかと思いました。

第一次産業の漁師たちは、他の産業と比較すると手厚く保護されています。加工、流通業者は経産省の管轄で、経産省にとって、水産加工流通業はマイナーな分野であること、また、加工流通業者は補助金を貰いなれていないこともあって、十分に支援が受けられずにいます。

飯田 借金をして施設を作ったのに、借金だけが残ってしまった、二重ローン問題の話もよく聞きますね。

勝川 そうした諸々の問題を解決して、立ち上がっていくのは現実的に考えてかなり厳しいと思います。

先ほども話した通り、漁業は魚を獲るだけではなく、加工、冷凍し、消費地まで繋いでいかなくてはいけません。ですから、いろいろな連携も含めて立て直さなくてはいけないんです。そのためには漁師と周辺業者の協力が必要でしょう。しかし漁村地域は、漁師さんと加工業者の仲がすごく悪いケースが多い。つねに、競りを挟んで、対立関係にある。漁師は高く売ること、加工流通業者は安く買うことを考えていますから、長年溜まった不信感と不満がある。この状況で、協力して立ち上がることがなかなかできずにいます。

飯田 「水揚げしてもどうにもできない」と話をしている現地の人もいるなか、冷蔵設備や加工会社が動いていないのに、水揚げが始まっている港もあります。メディアだと、つい「水揚げが始まりました。復興の第一歩です!」で終わりがちになってしまう――しかしそれは象徴的な意味しか無いでしょう。

勝川 一刻も早く水揚げをして欲しいという気持ちもわかりますが、そこからどうやって消費まで繋げていくのかが重要です。水揚げするにしても、気仙沼では冷蔵庫を持っている人たちが軒並み被害を受けているので、水揚げをしても買うことができません。船の冷蔵装置が残っているので、船に魚を保存して、半分ずつ業者に買ってもらっています。そうやってだましだましやっている状況です。

飯田 その方法では長期的に考えて無理がありますね。農業の場合は、どのような問題が見られましたか。

浅川 農業は畑に商品があります。それが津波によって流されてしまった。これが数100億の被害になりました。

また農業にとって燃料はとても重要です。燃料の塊と言ってもいい。農業は牧歌的なイメージを持たれがちですが、設備投資、電気代、燃料費はすごくシビアなんです。支払いがちゃんとできないといけません。ですから支払うことが出来ずに燃料が途絶えてしまうと夏のあいだに作物が枯れてしまいます。

飯田 燃料費に関して言えば、ハウス向けの燃料が届かないだとか、価格が高騰するといった問題もあったかと思います。

浅川 そうした問題に対処するために、横の連帯があったことはとてもよかったと思います。「どこそこの人が困っている」ということで、畜産農家同志ならトラックで餌を提供しに行ったり、あるいは燃料を農家の仲間同士でわけあっていました。畜産家同士、農家同士で互いのニーズが分かっていたので、支援する側と受け入れる側が助け合うことができたんです。またマスコミではあまり取り上げられませんが、燃料費が高騰したこともあって、技術革新が進んでいるところでは、廃油の活用方法を研究し始めているメーカーもあります。

■サプライチェーンの回復の遅れによってセールス形態が変わる

飯田 エコノミストは、大きな震災が起きると、よくアンケートを取られます。今回は多くのエコノミストが「サプライチェーンが寸断したため、主に製造業が大きく停滞してしまうだろう」と言っていました。しかし、実際は第二次産業のサプライチェーンの復旧は迅速でした。7月には供給経路がほとんど元に戻っていた。あるいは何らかの代替経路が出来ていました。一方で、製造業に比べると第一次産業のサプライチェーンの回復は遅れた、遅れていると感じます。

浅川 そうですね、確かに遅れていると思います。

浅川芳裕

ただし別の言い方をすることもできます。というのも、農作物は東北でしか作れないものではありません。他の地域でも作ることができる。震災の翌日に、北海道や九州など他の地域から、「東北が大変なことになっている。いまどんな野菜を作ればいいのか教えてほしい」という問い合わせがありました。皆さん、そんなにすぐに動けるものなのかと驚かれると思いますが、スーパーマーケットに毎日過不足なく商品が並んでいるのは、そういうことなんです。日ごろから長雨や日照りなどいろいろなことが起きているけれど、流通も含めてバックアップがちゃんとできているんです。

飯田 農業の場合は、他の産地が穴を埋められるということですが、漁業の場合は、東北地域で獲れなくなったものを、他の地域が獲るといったことはあるのでしょうか。

勝川 ありました。漁業の場合、世界中から足りなくなった水産物を引っ張っていています。例えば、国内のわかめの9割は三陸地方のものでした。しかし、震災以降、韓国のわかめが代替されるようになりました。そのように補っていくことができる。

その結果として、被災漁業の取引先は、新しい契約を結ぶことになります。被災漁業の設備や環境が元に戻ったとしても、失ったシェアは元に戻らないんです。復興するまでに1年かかっても大問題ですが、3年契約が結べなかったら、顧客は完全によそにとられてしまいます。そうなれば、ゼロから新規顧客の開拓をしないといけない。だからこそ加工業者はとにかく出荷したいんです。でも、土地が使えないし、建築規制によって動くこともできない。まったく先がみえない状況に置かれている。本当につらいと思います。

飯田 ラチェット効果、歯車効果といいますが、一度、取引先が奪われてしまうと、それまではルートセールスだったものが新規開拓セールスになってしまいます。ルートと新規開拓ではハードルがまったく違います。例えば、阪神淡路大震災のとき、当時の神戸港、現在の阪神港は、商業港として、世界のトップ10に入っていました。しかし震災によって失ってしまったコンテナの入港数は取り戻せず、いまだに昔の水準に戻っていません。

■放射線被害と対策

飯田 今回の第一次産業の被害を考えるとき、生産設備への被害だけでなく、原発の被害が大きかったと思います。原発の被害にも、実体的な被害と、放射線量を測ると問題ない数値だけれど、不安なので食べられないといった心理的な被害の二種類が考えられます。漁業に関して、原発による被害はどういったものがあったのでしょうか。

活発な質疑応答もあったシンポジウム会場

勝川 やはり基準値を超える魚が出てしまったことで、魚を獲ることができなくなった影響はありました。しかしそれ以上に、魚価が下がってしまったことが大きいです。やはり代替があるなかで、リスクのあるものを食べようとする人はあまりいません。だからどうしても相場は下がってしまうんですね。

飯田 漁港の中で、ひとつでも基準値を超えるものが出てしまったら、たとえ魚種を制限して、その他は出荷してもよいとなっても厳しい状況になりますね。

勝川 そうですね。ですからやはり相場はかなり下がるんです。それに国や研究者がいくら大丈夫といっても、社会がそう思ってくれなくなってしまっていて。信用喪失はかなり大きいです。

飯田 この問題に関しては、「絶対安心」とは絶対に言えないんですよね。

勝川 もともと震災以前から、感度をあげて測れば放射線セシウムは入っていました。ただ震災前はまったく意識していなかったんです。それが目に見える形で数値化すると腰が引けてしまう。その気持ちはわかります。だからこそ、いかにコミュニケーションをとっていくか、これは大きな課題だと思います。

飯田 少し迂遠な話になりますが、過去に農業で放射能が大きな問題になったのは、やはりチェルノブイリ原発事故のときでしょう。現在、当該地域では農業がおこなわれているわけですが、どのような対策がとられてきたのでしょうか。

浅川 チェルノブイリの対策は、局地的に放射線量が高いところもありますが、基本的には成功したと思います。

放射性物質について考えるとき、最終的に食べる商品になったときに、どれだけの濃度になっているかが肝心です。土壌にはバッファ機能がありますから、そこで放射性物質をいかに循環させるかを工夫する必要があります。

例えば、放射性物質であるセシウムを植物に吸わせないようにカリウムを投与すると、セシウムと勘違いしてカリウムを摂取することを利用した方法。あるいは放射性物質が溜まりやすいものを作らないとか、家畜の餌にプーシャンブルーといった物質を混ぜることで放射性物質を糞尿として出すとか、いろいろなノウハウがあります。放射性物質を消す、移動させるといった非現実的なことよりも、いかにうまく循環させるかを考えているんですね。

飯田 例えばニューヨーク州ですと、原発事故が起きたときの農家の対応がマニュアル化されているらしいのですが、日本にはそうしたマニュアル、あるいは事前教育や対策はあったのでしょうか。

浅川 沿岸部では、過去にも津波がありましたから、塩害に関しては、田んぼに水を張って田んぼを洗うといった方法を知っている人は知っていました。ただし、原発事故については知らなかった。

アメリカでは原発事故が起きた瞬間に、農家は非常事態要員になります。なぜなら食料供給する側として、国民の食の安全を守らなくてはいけないからです。現在日本では、どちらかというと生産者と消費者は対立関係にありますが、逆に国民の食を守る側に一次産業がまわるように対応されているんですね。日本でも今後こうした取り組みは必要になるでしょう。

飯田 第一次産業と話がずれてしまうかもしれませんが、例えば日本では、非常時に市町村自治体に権限を委譲できていないように感じます。現場の基礎自治体の職員さんに伺っても権限委譲に関する問題点の指摘が非常に多いんですね。巨大災害が起きたとき、前線にいる人たちがいちいち規則を守ったり、上の支持を待っていたりしたら何もできなくなってしまいます。実際に、現場に破断が任されていればできたことはあったという話はよく聞きます。

勝川 昭和8年にも、大きな津波が三陸を襲いました。当時の話を聞いてみると、そのときは対応がすごく早かったようです。津波の一週間後には、地元の国会議員が高台移転の計画をまとめていて、その一週間後には大蔵省が予算をつけている。これは逆に言えば、住民の合意形成を飛ばして、国がトップダウンで決定したのです。震災復興には、こうしたスピードが要求される部分はありますね。今回も、道路の復旧はすごく早かったですよね。

飯田 確かにみんな東北国土整備局に拍手喝采でしたね。

勝川 一方で、住民の合意形成が必要な部分は意見がまとまりにくく、最初の一歩も踏み出せずにいます。

つづく