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第一次産業の復興と東北の課題(2/2) 飯田泰之×勝川俊雄×浅川芳裕

■震災によって顕在化した問題

飯田 少し話題を変えさせていただきます。

現在、東北で問題になっていることは、新たに生まれた問題ではなく、今までも問題とされてきたものが多くあります。震災によって緊急度が増し、今すぐに対応を取らざるを得なくなってしまったんですね。その意味で、東日本大震災からの復興、そしてあらたな成長の模索は日本全体にとっての重要なモデルケースでもあります。日本の漁業、農業において、今まで何が問題だったのか、そして今回の震災によってどんな問題が顕在化したのか、お話していただきたいと思います。

浅川 震災以前からの農業経営の本質的な問題は、市場によって価格が決められていることです。

農業は、農作物を作って売ることでお金にする事業です。しかし、その値段は市場が決めるため自分たちで設定できず、コストや投資、雇用などの将来の事業計画が立てられませんでした。そして東日本大震災以降、放射性物質の問題で、どの市場でも価格がつかなくなってしまった。もともと課題になっていた流通の多様化が、こうした危機に面して、改めて考える必要が出てきました。

勝川俊雄氏(左)と浅川芳裕氏=東京・青山ブックセンター本店

市場で価格がつかないので、東京に出てきて初めて営業した人がいます。今まではスーパーが市場のメインでしたが、農家にあまり相手にされてこなかった加工業や外食業の人たちが、東北に行って商品を買い取ったりしている。新たな流通が結果的に少しずつ創出されているんですね。震災前よりも事業者マインドは高まってきているんです。

飯田 漁業はいかがでしょうか。

勝川 漁業も一緒で、市場任せで値段をつけてもらっていました。そうするとやっぱり安い値段がついてしまうんですね。例えば宮城県のカキですと、殻をむいて1キロ1000円、だいたい60個が1キロですから、だいたい1個15円。

飯田 それが東京に来ると、1つ、数百円になっている。

勝川 生産者と無関係に値段が決まってしまうことが問題なんです。例えばスーパーが、週末の特売日にアジを100円で売ることになったとします。このアジはまだ水揚げされていないアジです。まだ獲ってもない魚の値段が決まってしまっている。量販店は手数料や利益を考えて値段を設定します。そこから遡って価格が決まっていくので、結局、漁師は生活できない水準の価格で魚を売るしかなくなる。

あと全部混ぜちゃう方式の共同販売はよくないですね。やはり同じ産地でも、しっかり作る人とそうでない人で、質の面でかなりの差が出てきます。例えば宮城産のカキとして混ぜこぜになっていると、すごくおいしいものがあっても、同じカキは二度と買えません。そのときたまたま当たりをひいただけで終わってしまう。やはり個人の顔が見えるかたちで売っていくことで、一生懸命良いものを作った人がその分リターンを得られるようになる必要があります。

飯田 農業も漁業も、今まで流通の、ごく最初の部分しかしてこなかった。利益を生み出すバリューチェーンの最上流のワンポイントしか担当していないわけですから、バリューのうち獲得できる部分、つまりは利ザヤも小さくなります。

また、経済学を勉強したことのある方はピンとくるかもしれませんが、「商品がコモディティ化している」、つまり市場に行って、誰のものかわからないけれど、十把一絡げで売り買いされると、その商品は儲からないんですね。十把一絡げのモノは価格だけが勝負ですから、売価は容易にコストすれすれまで引き下げられます。そこから脱却しなければ利益は増えません。今まで、一部の意欲的な農家がやってきたことを、多くの農家も震災をきっかけに、自分でもできることに気がついた。

今までも農業では「わたしがつくりました」系の売り方はよく見られましたが、漁業ではあまり見られない気がします。なぜでしょうか。

勝川 水産物の場合、いつ、なにが、どのくらい獲れるのか、海任せのところがあって、漁獲量が変動しやすいんですね。そういうものを個人で売るのは難しい。だから市場に任せているんです。

スクリーンを使って説明する勝川氏

あと漁師の水産物に関する金銭感覚がかなりずれていることも原因のひとつでしょう。漁師にとって、魚は自分で獲ってくるか、物々交換で手に入れるものです。魚を店で買ったことがないので価値がわかっていないんです。風評被害によってカキが売れなくなったときに牡蠣小屋で直接販売することになったのですが、価格を12個1000円に設定したら「そんなに高い値段で売れるわけない!」とみんな口をそろえて言いました。12個1000円は安いほうですよ。でも彼らにとってカキは1つ15円の価値なんですね。そのくらい金銭感覚がずれている。それにそもそも漁師は、漁具の手入れやなんやで忙しくて、自分で販売する暇がないんですよね。

■農協、漁協の役割とは

飯田 流通の中にいるというが薄いのかもしれませんね。職人的と言っても良いかもしれませんね。

もともと漁協や農協は、安値をつけがちなスーパーや仲卸といった大口の需要者の値下げ交渉から、個々の生産者を守るためにある、というのが建前だったと思いますが、市場流通のほうが安いという現状をみると、いろいろと役割を見直さなくてはいけないと思います。

浅川 農協は、農家から農作物を買って市場で売っているというイメージが一般的だと思いますが、これは誤解です。実際に農協が何をしているかというと、農家から集荷したものを市場に持っていき、ついた値段の数パーセントを手数料として抜いている。そして運送屋にマージンを払って、残りを農家に落としている。だから基本的にノーリスクなんです。手数料が確実に入ってきますから。そして農家は全然儲からない。

飯田 私も浅川さんがおっしゃった一般的なイメージを抱いていたのですが、農協の損益計算書をみてびっくりしました。というのも、農協の収入のほとんどが、農家への売り上げだったんですね。

漁業もやはり大半が市場流通ですね。

勝川 そうですね。農家の場合は、自分で売っている人も見かけますが、漁業の場合はほとんどいません。

農業の場合は、土地は自分のものですから、その土地をどう使うかは個人で決めていい。しかし漁業の場合は、漁場の漁業権の管理は漁協がやってします。だから、漁協のセリを通さないで売るのは難しい。漁業権の優先度は組合員のほうが高いので、組合員から除名されてしまうと漁場が使えなくなってしまう。漁業の場合、生産が不安定で海任せなので、個人で売るのは構造的に難しい。その上、漁協の権限も高くて、組合を通さずに売るのが難しいという二重の問題があるんですね。

■ブランド価値と販売パートナー

飯田 漁家に話を伺っていて面白かったのは、陸前高田の漁家さんが「こんなに長時間漁に出なかったのは初めてで、こんなに考えたのも初めてだ」とおっしゃっていたことです。つまり、今回の不幸が改めて漁業のあり方を考えるきっかけになったということでしょう。東北地方の漁家のなかで、この震災を契機に始まった試みはどんなものがあるのでしょうか。

勝川 いろいろあります。

現場では、もう元に戻しても仕方がないと思っている人はたくさんいます。震災前から、十年先があるかないかという状態の漁業がかなりありました。だから元に戻しても、結局、先が無いことは。みんなわかっている。でも一方で、これからどうしていけばいいのかというビジョンがなかなか浮かんでこない。

今までは、組合や既存の流通以外の選択肢が無かったため、なかなか新しいことが出来ませんでした。でも今は流通自体が壊れていて、自分たちで売らないといけない状況です。また、漁協も復興、復旧作業で忙しいので、その隙にいろいろやっていけるんです。だからこそ我々が、現場と協力して、市場流通以外の選択肢をどうやって作るのか考えていく必要があります。

飯田 「その隙に」という表現がぴったりで笑ってしまったんですが、漁協や漁港、市場の関係者に話を聞くと、「一刻もはやく定置網漁を復活させなければ」と、元に戻すビジョンを持っているんですよね。漁家さんと意見がまったく違います。

勝川 やっぱり売り方をなんとかしなくてはいけないという意識が漁師のあいだにあります。いまの値段じゃさすがに食っていけません。

現在、日本全国で魚が減っています。水産庁のアンケートによると、漁師の9割が魚は減っていると思っている。養殖するにしてもすでに場所が埋まってしまってこれ以上するのは難しい。ですから量を増やしていくという選択肢はありません。だとしたら値段を上げる以外に方法はない。前からそういう共通認識はあったんです。でも今まで何もやってこなかったから新しいことをするリソースがない。外部の人間がいかにサポートするのがキーになると思います。

飯田 魚価が安いので、たくさんとる。たくさんとると、魚が減る。魚が少ないから、急いでたくさんとる……この循環によって漁業資源が枯渇して、幼魚稚魚が市場の中心になってしまっている。

勝川 大きいのがいなくなったので、まだ大きくなっていない小さな魚を獲る。どんどんサイズが小さくなって、非常に破滅的な状況になっています。

飯田 この悪循環から抜け出して、良いものを高く売っていくためには、今までのように市場流通で良いものから悪いものまでごちゃ混ぜにして売ってはいけないと思います。なんらかの形でブランド化し、ブランド価値として売っていく必要が出てくるでしょう。

農業は比較的今までもブランド価値の追求をやってきていたと思います。実際のところ、ブランド化、ブランド価値の追求によって経営はうまくいくのでしょうか。

浅川 普段、スーパーでお米をいろいろ比較して買うことは少ないと思います。でも、一度食べてもらって違いを感じてもらえたら、普通の人は食べ物に保守的ですから、おいしければ、そのお米を食べ続けるでしょう。ですから地道に東京に来て初めての営業をして、何人かの主婦に買ってもらえるだけでも意味があります。

それに農作物の利点として、販売が年間に毎月10キロといった頒布会方式になっているので、顧客を手に入れれば安定した収入になるんです。お米の販売にあわせて、野菜や漬物を同封して売れば、地味ですがいい収入源になる。例えば一般の家庭がお米に年間5万円使うとします。すると200件で1000万円の収入になりますね。1000万円の売り上げは、だいたい300万から400万円の所得になりますから、なんとか経営することができる。「日本の農業の問題は」とか「お米の消費量」とか難しい話なしに、いいお客さんをちゃんと捕まえてサービスすれば、なんとかなるんです。それが大事です。

飯田 お客さんを見つけるために、例えば被災地応援フェアに来てもらうのも手ですよね。

僕も時々お手伝いをさせていただいた、岩手県で行っている炊き出しイベントの復興食堂というものがあります。最近は、もっと被災地のことを知ってもらおうと、東京や関西でも出店をしています。東京で出店しているときに、物産で一緒になったお米の農家さんも、初めての営業活動で、さっそくお客さんを見つけていました。やっぱり自分で作ったものが、目の前で売れるのは嬉しいみたいです。それに、製造だけでなく、営業や配送も自分でやると利ザヤが増えますよね。

一方で、先ほどもお話がありましたが、漁業はやはりブランド化、ブランド価値による個人販売は難しいのでしょうか。

勝川 漁師のご飯ってかなり豪快ですよ。今日はウニがたくさん獲れたから、どんぶりいっぱいのウニを食べるみたいな食事をしているんです。つまりそれだけ獲れた、獲れないが激しいので、個人相手に商売をやっていけるかというと厳しい。

そこで大切なのは、一緒に販売ができるパートナーを作ることです。陸前高田の広田町で、地元の漁師と一緒に、これからどうやって漁業を続けていくか話し合いました。まずはパートナーを見つけることが大切だと思い、APカンパニーという居酒屋チェーンの水産物の仕入担当者を取り次いだんです。それでAPカンパニーの料理長と一緒に漁にでてもらった。

そのとき見つかったのが毛ツブという、市場に出しても1キロ30円程度のツブガイです。これでは市場に出す手間賃にもならないので、漁師は売りに出さずに投げているんですが、「実は俺たちはこれが好きで、ケツブばかり食べている」と話をしていて。これはいけるんじゃないかと試食をしてみたら、やっぱり美味しいんですよ。肝が苦いのと殻が硬いため、処理が面倒なのですが、そこは店が引き受けてくれることになって、1キロ200円の契約が結ばれました。ケツブは毎日1トン獲れます。つまり一日で20万円。漁師がいまちょっと色めきだっています。

これを更なるステップに繋げていきたい。今は処理をお店に任せていますが、もし地元の加工場で殻や肝の処理ができれば、送料も安くなるし、地元の雇用創出にもなる。そういう形でなんとかやっていけないか。

■検査を丸投げされた現場

飯田 ブランド化、ブランド価値とは別に、やはり農業ではよく聞く話ですが、第六次産業化というビジネスモデルもあります。

三陸被災地域で、歴史に残る大災害の現場に立つこと、実際に被災した人たちの話を聞くことは非常に重要なことでしょう。これを観光というかたちで活かせるのでないか。実際、どのようなビジネスモデルになっているのでしょうか。

浅川 昔からあるのは、1時間3000円くらいのリンゴ狩りでしょうか。これは、多くの人が、取れたてのものをたくさん食べたいからといってやってきていました。最近増えているのは農業体験ですね。実際にプロがやっている作業を手伝うとか、トラクターにのるとか、ハムづくりのような加工体験とか。

原発事故以降、どんなにいいお米を作っても、福島産というだけで敬遠されるようになってしまった。だから、ビジネスとは別に、実際に作業現場に来てくれることは、受け入れる側としても嬉しいみたいです。

飯田 農業体験をした顧客はその農場へのロイヤリティー(忠誠心)が高まります。自分が関わったらそこの商品を買いたいと思うのが人情ですから。一方で、今後もしかしたら、セシウムの検査に立ち会えるようになるかもしれない。目の前で測定することで、安心してお米が買えるようになる。そういうモデルも考えられるでしょう。

浅川 暫定基準値を超えたとか、超えていないとかいう話をよく聞きますが、そもそも暫定基準値は、基本的に原発事故が起きた周辺の人たちのための基準です。彼らは現地のものを食べる確率が高いわけですから、彼らが大丈夫な基準にしている。どうもあたかも消費者のための指標と勘違いされていますがそうじゃないんです。

それに、現地の人でもさらに農家の場合は、土を掘ったり稲を刈ったりしているので、作業中にも被曝してしまうわけです。内部被曝、外部被曝もある一番大変な状況なのに、彼らにための指標であることがほとんど理解されていない。それと重要なのは安全性の科学的根拠を明らかにすることですね。

飯田 実際作業している人のほうがもっと大きな影響を受けている可能性が大きいわけですね。

浅川 そうです。地元の人が大丈夫な基準なら、他の地域の人は、地元の人ほど原発周辺にあるものを食べないんだから大丈夫なんですよ。このままだと消費者と生産者の対立関係は強くなってしまいます。ぜひ説明を切り替えて欲しいですね。

しかもややこしいのが、行政がちゃんと調べてもいないのに、まったく法的根拠のない安全宣言を出してしまったことなんです。去年、福島県知事が安全宣言を出した翌日に、規制値を超えたものが出てきてしまいました。これじゃあ信用されるわけがないです。さらに今年は、県が各地域に検査を丸投げしてしまいました。本来、県が検査できないものは、国がやるべきことです。

こうして問題を丸投げしたまま、今年の稲刈りを迎えます。現場は何を持って安全宣言をすればいいのかわからないし、測定機器もまだ注文中で、とても混乱しているところです。

勝川 僕も、放射能の検査を、自治体に丸投げする国の姿勢は、無責任だと思います。県の水産課なんて、そんなに人数もいないし、放射能を測る設備も少ない。そもそも現場にいる人は、みんな被災しているのですよ。なんで国がやらないのか。おかしな話です。

飯田 特に放射線関連の直接被害地域、風評被害も含めた間接被害地域は、ある意味では未だ被災中なわけです。そのような状況において現場に任せることの意味、そして現場に回せるならば何をサポートしなければならないかを考えないといけない。丸投げするならそれだけの「金と人」がセットになっている必要があるわけです。

元々の農業・漁業の問題、そして震災被害の問題、さらには放射線関連被害と東北地区の一次産業の現状は困難に満ちています。このなかでどのような復活を可能にしていけるか。日本全国の一次産業にとっての「復活の教科書」にしていけるようこれからも知恵を絞っていきたいと思います。

(終わり)