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もうひとつの「もんじゅ」訴訟―――3・11以前から原発推進という国策に挑んできた人たち 

大久保真紀

大久保真紀 朝日新聞編集委員(社会担当)

 2003年秋、弁護士の海渡雄一さん(57)のもとに一通の手紙が届きました。差出人は西村トシ子さん(66)。会いたいという内容でした。

 トシ子さんは、1995年12月にナトリウム漏れ事故を起こした高速増殖炉「もんじゅ」の開発を担った動力炉・核燃料開発事業団(動燃)で総務部次長をしていた西村成生さんの妻です。

 動燃は、この事故の直後、激しい批判にさらされていました。ナトリウム漏れ事故を起こしたことはもちろんですが、それだけではなく、この事故の直後に現場の様子を撮影していた映像を隠していたことが発覚したからです。成生さんはなぜビデオ隠しが起こったのかというその内部調査を、動燃の理事長の特命によって担当していました。

 内部調査の担当者として、成生さんは96年1月12日の夜、記者会見で、ビデオ隠しは現地だけでなく、本社の幹部もかかわっていたことについて追及を受けました。そして、翌13日に宿泊先の東京都内のホテルの敷地内で倒れているのを発見され、死亡が確認されました。49歳でした。

 「遺書」があったことから自殺と警察は発表しました。

 この成生さんの死は、厳しい世論にさらされていた動燃への社会の追及を一気に沈静化させる結果となりました。

拡大夫・成生さんの遺影を手にする西村トシ子さん(伊ケ崎忍撮影)

       ◇

 「夫を死に追いやった張本人と思っているのではないか」

 トシ子さんから手紙をもらった海渡さんは緊張して、事務所でトシ子さんと向き合いました。

 トシ子さんは、残された「遺書」に夫とは違う書き癖や考えられない誤字があることなどから、夫の「自殺」を受け入れられないでいました。何があったのか、なぜ死ななくてはならなかったのか、を知りたいと訴えました。せめて死ぬ前に夫はどんなことを調べ、記者会見で何を話し、動燃の人たちとどんな打ち合わせをしたのかなど、何をしていたのかを具体的に知りたかったのです。ただそれだけだったのです。ですが、動燃に尋ねても誠意ある説明はなかったそうです。

 そのため、トシ子さんは夫の死後、労災や過労死問題に詳しい弁護士、犯罪被害者を支援する弁護士、反原発運動団体などを訪ね、何とか死の真相を知りたいと協力を求めましたが、いずれも断られました。7年かかってたどりついたのが、もんじゅの設置許可取り消し訴訟弁護団の海渡さんのところでした。

 海渡さんは何があったのか知りたいというトシ子さんの思いを受け止め、依頼を受けます。自分たちが問題にしてきたもんじゅにかかわって人が亡くなった事実は重いものでした。断ることはできなかった、と海渡さんは言います。

      ◇

 海渡さんは、原発訴訟を担当する弁護士として第1人者です。その原点は、小学校のころに体験した空港の騒音にあります。

海渡さんは兵庫県伊丹市で育ちました。小さいころは、近くの伊丹空港に週末に行っては飛行機を見ていました。しかし、64年にジェット機が就航すると、授業どころではなくなります。木造校舎の教室では飛行機が飛ぶ度に、先生の声がかき消されました。

 その後通った灘高校で、公害問題に熱心な先生と出会います。グループごとにテーマを決め、生徒が実地で調べ、発表するという授業でした。海渡さんのグループは当然、空港の騒音問題をテーマにしましたが、ほかのグループも水俣病やプラスチック公害などについて調べて発表しました。

 この授業でさまざまな公害があることを知ります。「これから解決しなきゃいけないのは公害問題だ」。海渡少年は、そう思います。

当時は全国で公害が問題化していました。海渡さんの目には、テレビニュースで見た、被害者の横にいる弁護士の姿が、焼き付きました。

 弁護士になるために東京大学に進み、そして、どういう公害問題をやるのか、考え始めます。やるからには新しい分野でやりたい、それが海渡さんの希望でした。そして、全国で建設が始まっていた原発に目が止まります。

 核化学者の故高木仁三郎さんの著作「プルートーンの火」が、最初に読んだ本でした。プルトニウムは化学的には魅力的な元素だが、一方で地球を破滅させかねないものだという高木さんの原発批判は的を射ていると思いました。高木さんの本は書店に並ぶたびに買って読みました。同じころ、東大の自主講座で大阪大学講師で科学者の故久米三四郎さんの話も、海渡さんは聞きます。久米さんは原発の危険性、問題点をわかりやすく、鋭く説明していました。

拡大海渡雄一さん(伊ケ崎忍撮影)

 反原発運動を語るとき、2人は「東の高木、西の久米」といわれた存在でした。理論的支柱であり、運動の中心だったこの2人に、海渡さんは最も影響を受けました。

 弁護士になった81年に、海渡さんはすぐに宮崎県でのウラン濃縮研究施設の差し止め訴訟の準備に参加します。以来、海渡さんは決してもうからない反原発弁護士の道をまっしぐらに歩んでいます。

      ◇

 トシ子さんの依頼を受けた海渡さんはほかの弁護士とともに弁護団を組み、トシ子さんの夫・成生さんに何があったのかを調べ始めます。

 当時は、成生さんが矢面に立たされた記者会見で、ビデオ隠しの事実を動燃本社が知った時期を聞かれ、本当は12月25日なのに、「1月10日」と虚偽の答えをしたことを苦にして、自ら命を絶ったとみられていました。

 しかし、調べて見ると、成生さんの最後の記者会見の直前に開かれていた記者会見で当時の動燃理事長が、ビデオ隠しの事実を知った時期を聞かれ、報告を受けたのは「1月11日」と答えていたことがわかります。これは明らかに、事実と異なる内容です。

 当時は、動燃は追い詰められ、

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筆者

大久保真紀

大久保真紀(おおくぼ・まき) 朝日新聞編集委員(社会担当)

1963年生まれ。盛岡、静岡支局、東京本社社会部などを経て現職。著書に『買われる子どもたち』、『こどもの権利を買わないで――プンとミーチャのものがたり』、『明日がある――虐待を受けた子どもたち』、『ああ わが祖国よ――国を訴えた中国残留日本人孤児たち』、『中国残留日本人』など。

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