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日本の「ステートアスリート」は世界の非常識

大坪正則 大坪正則(帝京大学経済学部経営学科教授)

 第二次世界大戦後の世界政治は、不幸なことに、米国を中心とする資本主義国と旧ソ連を中心とする社会主義国とに二分され、大々的な戦争は消滅したものの、資本主義と社会主義の国が国境を接するところでは局地的な小競り合いが、そして両陣営が経済的・軍事的援助を競う国では内乱や内戦が頻発した。

 そんな状況を総括的に“冷戦”と称し、両陣営の競争が、軍事のみならず、宇宙開発や新技術の開発を含む広範囲な分野で繰り広げられた。また、国威の高揚のために、スポーツ、特にオリンピックが利用された。

 資本主義の国々はアマチュアの大学生を中心にオリンピック代表を選んだが、社会主義の国々はスポーツの才能に恵まれた選手の英才教育をして、メダル獲得を競わせた。このように、国が特別に育てる選手たちを「ステートアスリート」と呼んだ。

 アマチュア選手がステートアスリートに歯が立たないのは当然のことだ。これがオリンピック憲章から“アマチュア”の文言が削除される要因の一つになった。ステートアスリートは今でも中国やロシアなどに存在する。彼らがオリンピック競技で多くのメダルを獲得している実態は承知の通りだ。

 アメリカやヨーロッパの国々では、地方自治体がプロ球団に資本参加することをリーグが認めていない。また、それらの国は日本のスポーツ科学センターのように多くのスポーツ選手に役立つ施設に資本を投下しても、特定の選手たちの強化のために税金を投入することもない。

 また、アメリカの連邦政府や地方自治体は政府保証を含めスポーツの国際大会にもいっさい経済的援助をしない。ヨーロッパも同じで、国や地方自治体が特定の企業に経済的補助をすることを禁じているので、当然のことながら、プロチームはもちろん、地域に根を張ってスポーツ振興の一翼を担う総合スポーツクラブにも特別な援助はしていない。従って、米国や欧州にステートアスリートは存在しない。

 日本はどうだろう。

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