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「原子力の日」の広告と原発社説

川本裕司 朝日新聞記者

 10月26日は原子力の日だった。1963年のこの日、茨城県東海村にあった日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)の動力試験炉が国内初の原子力発電に成功、翌64年に閣議で「原子力の日」と定められた。

 原発をPRするのに格好だったこの日、東京電力福島第一原発の事故があった昨年に続き、原子力推進の新聞広告は掲載されなかった。事故前年の2010年の原子力の日には、読売新聞に電力会社10社でつくる電気事業連合会(電事連)の広告が1ページの半分弱ほど載った。「電気の源を考える」というタイトルのもと、「原子力発電の恩恵や課題を自ら学び冷静に判断することが必要。」というコピーがうたわれていた。

 電事連広報部は「新聞広告は諸般の情勢や必要性、効果などを総合的に勘案して出稿しているが、昨年と今年は見送った」と言っている。

 原子力報道について研究しているプール学院大短期大学部の伊藤宏・准教授によると、99年9月30日に東海村のウラン加工会社JCOで国内初の臨界事故が起こり、多数の被曝者と住民31万人が避難・屋内退避が余儀なくされた翌月の原子力の日、朝日、毎日、読売の3大紙についてみる、朝刊に「暮らしを明るくする原子力」という科学技術庁と資源エネルギー庁の広告(紙面の4分の1ほど)が掲載された。読売はこのほか、見開き2面を使い、自社開催の「21世紀のエネルギーを考える」というテーマのシンポジウムについて

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