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[3]GP第1戦「スケートアメリカ」リポート(上)

P・チャンを超える者

青嶋ひろの フリーライター

この連載では、今シーズンにカナダ・トロントに上陸したばかりの羽生結弦からリポートしているが、すでにフィギュアスケートはシーズンイン。ここでは彼の試合での成長ぶり、悪戦苦闘のリアルタイムリポートも、並行してお届けしたい。

 2012年10月19日、グランプリシリーズ第1戦、スケートアメリカ(ワシントン州ケント)。試合前日の公式練習から、羽生結弦はちょっとないくらい絶好調だった。

 本番と同じリンクで、各選手30~40分の練習時間を何度か与えられる、オフィシャルプラクティス(今大会は全3回)。コーチやチーム関係者はもちろん、ジャッジ、報道陣が選手たちのコンディションを推しはかるため、大挙して見守るのがこの時間だ。

 日本では関係者以外クローズドのことも多いが、スケートアメリカでは一般観客にも練習を公開。気の早いファンたちも声援を送るなかでの公式練習だった。

 トップクラスともなると、選手によってこの時間の使い方はまったく違う。前日は軽く流す程度で氷の感触を確かめる者、とにかくジャンプを跳びまくったり本番さながらにプログラムを通して滑ったりして、ジャッジにアピールする者……。

スケートアメリカの公式練習に臨んだ羽生結弦

 同じ時間内に滑る選手は、通常の試合で6人、グランプリシリーズの場合は5人。世界各国から集まったグランプリ出場資格を持つ強豪たちが、同じリンクの中で自分の手の内をどこまで見せるのか、腹の探り合いにもなる。

 「試合を見てるより、公式練習を見ている方が面白いじゃないですか!」

 そういって目を見開く記者もいるほどだ。

 そのなかで羽生結弦は、誰が見てもわかるほどの絶好調だった。4回転トウループ、4回転サルコウ、3回転アクセル……試合でキーとなるジャンプを、これでもかと跳んで見せる。滑るプログラムにも気持ちが入っていて、「ノートルダム・ド・パリ」の音楽に乗り、世界選手権から短期間で、またひと回り大人になった姿を見せていた。

 「こんなに調子がいいと、かえって心配になりますよ」

 フィンランドの試合にも同行していた関係者は、ちょっと苦笑気味にそんなことを言った。

 羽生の本当のシーズン第1戦「フィンランディアトロフィー」は、すでに10月上旬におこなわれている。大会の格としてはグランプリシリーズ6戦に及ばない「国際Bシリーズ」ながら、スペインのハビエル・フェルナンデス、アメリカのジョニー・ウィアーら実力者も参戦。そのなかで4回転トウループ、4回転サルコウともに決めて優勝という結果は、大きな話題となっていた。

 順位以上にインパクトがあったのは、初戦から4回転2度を違う種類で成功、という点だ。一報を聞いた日本のトップスケーターも、「すごい! もう、そういう時代なんですね……」と唸った。

 スケートアメリカでも、羽生は2種類の4回転を決めるのか? 見どころは間違いなくそこにあったし、公式練習から気持ちいいくらい4回転を決めまくる姿には、誰もが舌を巻いていた。

 しかしフィンランディア杯の舞台裏を聞けば、見通しは明るいばかりではない。前戦では大会前のコンディションが、最悪だったのだ。季節の変わり目にいつも見舞われている喘息の発作がひどく、練習が十分にできないどころか食事もままならない。細い身体は、一層やつれて見えたという。貧血気味でふらふらのまま滑った公式練習では転びまくり、あまりに転びすぎて股関節を痛めたほど。

 「ほんとうに、フィンランドでは本番だけジャンプが巧くいったんですよ。彼は本番に強い!」と感心していたのは、スケート連盟関係者。だから2戦目、スケートアメリカ――この調子の良すぎる公式練習が、人々を少し戸惑わせてもいた。

 羽生結弦本人にとっては、2種類の4回転とともに、今大会の大きな課題として胸に抱えるものがあった。前回フィンランディアでは、ぼろぼろの体調でジャンプを決めることだけに集中してしまい、まったくと言っていいほどプログラムの魅力が出せなかったのだ。そのことが悔しく、反省もしたのだという。

 「特にフリーのトランジション、ステップ……まだまだ甘かった。だからこの2週間、たくさんイメージトレーニングをしてきましたよ。フリーの『ノートルダム』はまだざっくりしたストーリーだけれど、自分で物語を作って……。そして音楽をたくさん聞いて、自分の中からどんな感情が出てくるのかを感じて。その気持ちをしっかりと、動きで表現できるようにしてきました」

 トロント在住の振付師、デイビッド・ウィルソンによるプログラムの手直しも、短期間のうちに受けた。1戦目では何も表現できなかった、その悔しさをぶつけるべく、指を鳴らして待っていた第2戦。

 しかし試合2日前にトロントからシアトル入りする予定が、出国審査が長引いたため飛行機に乗れず、トロントの空港で一泊するというアクシデントに見舞われる。まったく練習のできない一日をホテルで過ごし、その間と移動の飛行機中では、ずっと4回転やプログラムのイメージトレーニングをしていたという。

 「やっと滑れる!」

 シアトル入り直後の公式練習。その溜まりに溜まったうっぷんと、積もりに積もったイメージをすべてさらけ出したのが、弾けるように好調な公式練習だったのだ。

 「トラブルがあったのにいい練習をしたので、驚いたよ」と、練習前には少し焦り気味だったブライアン・オーサーコーチも、目を丸くしている。

 「元気いっぱい? だって昨日一日、何もしてないんですから。アクシデントのことは吹っ切れたし、自分でも、いい感じで練習を滑れたと思います。あとは自分がやってきたことを信じて、精一杯落ち着いてやれればね!」(結弦)

■ショートプログラム――世界歴代最高得点更新!

 精一杯、落ち着いて――そうして臨んだ先に、世界歴代最高得点が待っているとは、さすがに予想できなかった。

 ショートプログラムの曲は、カナダの誇る元世界チャンピオン、ジェフリー・バトルによる振り付け。ブルース調の「パリの散歩道」は、「若い彼にはまだ早いんじゃないですか?」という声がシーズン前に上がるほど、背伸びをした選曲だ。

 しかし同じグループで滑るスケーターは、アメリカのジェレミー・アボット、チェコのトマシュ・ヴェルネル、そして日本の小塚崇彦。いずれもスケーティング巧者と知られている上、アボット27歳、ヴェルネル26歳、小塚23歳。17歳の羽生結弦が逆立ちしても出せない落ち着いた魅力を、氷の上に立つだけで醸し出してしまう相手だ。

 そのなかで「お兄さんたち」に目いっぱい対抗するように清新な、17歳の彼なりのブルースは、当日朝の公式練習から目を引いていた。

 「でもスケーティングは、まだまだだよ」

 冷静な声音で、ブライアン・オーサーは言う。たぶん公式練習までを見て、一番羽生の滑りに満足していないのは、オーサーコーチだっただろう。

 「もうユヅルがジャンプを跳べるのは、当たり前なんだ。だから僕やトレーシーは、ずっと彼に、スケーティングやスピンの練習にもっと集中させようとしてきた。スケーティングがもっと確実になったら、さらに彼は自信をつけられるのに……ってね」

 数か月やそこらで、彼がスケーティングの本質を身に付けられるとは思っていない。しかしそれでも、もっと練習させたかった……笑顔を浮かべつつも、軽く苦々しさも見せながら、ショートプログラムに向かう愛弟子を見守る。

 だからショートプログラム後、95・07点という得点を前にしたオーサーが、「僕は驚いてはいないよ。彼ならばできると思っていたからね!」と多くの報道陣を前に発したコメントは、むしろ驚きを押し隠しての言葉だったような気がする。

 美しさに息をのむほどの、羽のように軽い4回転ジャンプ。身体のやわらかさを生かしてこの上なく自然な、スピンコンビネーション。自信に満ちた面構えと、まっすぐ会場を見据える強い視線。満々の闘志を、音楽のなかではそのまま色気に変えてしまう不思議な力――。

 そして、そんな自分の持てる武器のすべてを、落ち着いて人々に「見せつける」余裕。フィンランディア杯の轍を踏まないようにと、体調も気力も万全。そんな羽生結弦の、本気の「本番強さ」を、オーサーも初めて目の当たりにしたのだ。

 そしてジュニア時代から彼を知っているはずの我々にとっても、そのふてぶてしさが憎らしくなるくらい、ショートプログラムの羽生結弦は格好良かった。すでに日本のアイスショーでは披露しているが、試合でジャンプもすべて成功させた形で、初めて見せた「パリの散歩道」。これまで誰も見たことのない、「ニュー・ユヅル」だった。

 「今日は会場にも日本の方がすごく多かったですよね。日本の国旗、自分の名前の書かれた横断幕を見て、ほっとしながらいつも通りの演技ができたんじゃないかな! 滑る前には、このプログラムはまだ試合慣れしていない、って意識が少しありました。去年に比べると、夏のアイスショーで人前で滑る回数は多くなかったから……それでもこんな演技が、まずはできたこと! とりあえずほっとしています」

 氷を降りても、本人は落ち着いたものだった。ショートプログラム後の記者会見でも、

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