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NHKの名匠・工藤敏樹の再評価

川本裕司 朝日新聞記者

 1960年代後半に今も輝きを失わないテレビドキュメンタリーの名作を手がけたNHKの工藤敏樹をご存じだろうか。58歳の若さで亡くなった工藤の没後20年にあたる今年、その再評価の機運が高まっている。

 10月からフジテレビで放送されている連続ドラマ「ゴーイング マイ ホーム」の監督と脚本をつとめる是枝裕和。映画監督としての実力は折り紙つきだが、若き日、テレビマンユニオンでドキュメンタリーのディレクターとして映像制作の歩みを始めていた。その是枝がNHK放送文化研究所の雑誌「放送研究と調査」3月号に書いた「工藤敏樹(NHK)~語らない『作家』の語りを読み解く~」は、局外では忘れ去られていたNHKの名匠に光をあてた。

 工藤は1933年生まれ。58年にNHK入局、ラジオ教養部を経て、テレビ史に名を残す小倉一郎が率いるドキュメンタリー番組「ある人生」のチームに64年から参加した。翌65年にはデビュー作「北壁にいどむ」、ベテラン刑事を追った「すり係警部補」で注目を集めた。67年には岩手県の農村のお盆を切り取った代表作「和賀郡和賀町-1967年 夏-」を手がけた。69年には第五福竜丸と乗組員の変遷を描いた「廃船」をものし、学童疎開の記録フィルムを素材に文化庁芸術祭大賞を受けた「富谷国民学校」も制作した。

 是枝は昨年、東京・高円寺であったドキュメンタリー映画祭が工藤作品との出あいの場となった。ここで見た「廃船」に衝撃を受け、魅せられた工藤の映像論の分析に取り組んだ。

 「放送研究と調査」の論考で、是枝は「なぜこれほどの作り手を今まで知らずに今までテレビを作り語って来てしまったのかという後悔と、まだこれほどの作り手に出会えるのかという喜びが相半ばした」と記し、工藤の番組の特徴を5点にまとめている。

 「ナレーションの巧みさ」「複雑な構成力」

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