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[2]有毒アオコの汚染

永尾俊彦 ルポライター

 郡司彰農林水産大臣は、11月4日、諫早市で中村法道長崎県知事らと会談、来年12月の開門を目指す方針を伝え、工程表の概要を示した。これに対して、地元長崎県の農民らは「開門したら農業に被害が出る」として猛反発した。

 他方、佐賀、福岡、熊本などの有明海漁民は、「ノリ漁の最盛期の12月に開門したら、調整池の水が流れ込み、赤潮などが発生する危険がある」として開門時期を前倒しし、来年の5月開門を求めた。今後、開門をめぐるせめぎあいは一層激しくなると見られる。

有毒アオコが発生している調整池=撮影・筆者

 この開門問題に決定的な影響を与えると思われるのが、昨今、諫早湾干拓の調整池で発生している有毒アオコ問題だ。アオコとは、光合成をするバクテリアだ。長崎県によれば、アオコが発生した日数は、今年は10月1日までに69日だが、昨年は127日にのぼる。年間3分の1以上が有毒アオコに覆われているのである。

■アオコ臭い魚を廃棄している漁民

 ぺンキを流したような鮮烈な緑色のアオコが、諫早湾を閉め切った潮受け堤防に吹き寄せられていた。9月に諫早湾干拓の調整池を訪れた。かすかにカビのような臭いもする。東京ドーム556個分に相当する2600ヘクタールもある広大な調整池全体は薄茶色によどんでいるが、小さなアオコの塊があちこちに浮かんでいた。

 潮受け堤防の北部排水門のそばでは、台船の上でアオコを吸い上げ、ろ過して調整池の水を浄化する機械のフィルターを3人で洗浄していた。1人の作業員が素手でアオコをすくっていたのが気になった。この機械の名前は「ミズコシタロウ」。長崎県が調整池の水質浄化のために今年から導入した。同県諫早湾干拓課によれば、2ケ月弱のレンタルで約600万円。処理能力は1時間に5~10立方mだ。

 調整池が造られた目的の一つは、周辺低平地の排水不良を改善することなので水位を海抜マイナス1mに管理する必要があり、雨が降れば調整池の水は排水門から諫早湾へ排水される。その量は年間約4億トンだ。「ミズコシタロウ」ではとても追いつかない。

ミズコシタロウ=撮影・筆者

 潮受け堤防から5キロほどの諫早湾で定置網漁をしている松永秀則さん(59)は、この夏、定置網にかかったボラが「アオコ臭くて売り物にならん」と嘆く。それで200kgも廃棄せざるをえなかった。養殖アサリもアオコ臭くて漁ができないと憤っていた。

 8月23日、松永さんら5漁協の10人が長崎県の中村知事と面会、「アオコ臭い魚を売ったら他の魚が売れないから自重して市場にも出さずに休業している」「臭いがすると毒素がないと言っても売れない、食べられない」などと訴え、「調整池の水質浄化は海水導入以外にない」と排水門から海水を調整池に入れることを求めた。海水に触れればアオコは死滅する。

 だが、中村知事は「アオコは基本的に臭いがしないと聞いている」と取り合わなかった。

諫早の干拓地と門

■アオコ毒に汚染された天然カキ

 2007年、熊本保健科学大学の高橋徹教授(海洋生態学)がこの調整池のアオコからミクロシスチンという毒素を初めて確認した。その他、神経毒を持つものなどこれまで4種類の有毒アオコが確認されている。

 ミクロシスチンは肝臓に影響し、最も毒性の強い種類のミクロシスチン―LRの急性毒性は青酸カリの数十倍だ。ブラジルでは、人工透析の際にミクロシスチンに汚染されていた水を使用したことで50人の患者が肝不全で死亡する事件が1996年に起きている。

 ちなみに、この調整池の水は飲料水には使われていないが、ミクロシスチンのWHO(世界保健機関)の飲料水の基準は1リットル当たり1μg(マイクログラム)以下だ(1μgは100万分の1g)。高橋教授の調査では、調整池の表層水からこれまで最高1リットル当たり120μg、調整池の底の表面から深さ1cmまでの泥に含まれる水からは同600μgが検出されている。

 高橋教授が、南北二つの排水門付近の調査地点などで計測している月ごとのミクロシスチンの平均濃度を年間排水量にかけてざっと推定したところ、2011年は約870kgものミクロシスチンが諫早湾に排出された。

 だから、海の汚染も進んでいるようだ。それを裏付けるように、高橋教授らの調査では諫早湾内のみならず対岸の福岡県大牟田市沖など有明海の広範囲の底泥からミクロシスチンが検出されている。有明海沿岸に調整池に匹敵する規模で恒常的に有毒アオコが発生している所は知られていないので、調整池が汚染源の可能性が高い。

 海の汚染は魚介類の汚染につながる。高橋教授の調査では、2007年12月に潮受け堤防の南部排水門のそばで採取した天然カキのミクロシスチン濃度がこれまでで最も高く、湿重量(水分を含んだ状態)1g当たり0.45μgだった。WHOは、ミクロシスチン―LRについて、耐用一日摂取量(TDI)を0.04μgと定めている。

 これは体重1kg当たり1日0.04μgまでの摂取なら毎日食べ続けても健康に影響がないとされる量だ。体重50kgの人であれば、0.04×50=2μgが限度になる。だから、このカキのミクロシスチンが全てミクロシスチン―LRだとすると、天然カキ2個分程度の5g食べると0.45×5=2.25μgとなって耐容1日摂取量を超えてしまう。

 諫早湾の養殖カキからは、今のところ耐用一日摂取量を超えるミクロシスチンは検出されていない。だが、天然カキからは2008年3月にも湿重量1g当たり0.39μg、2009年11月に同0.31μgの高濃度のミクロシスチンが検出された。いずれも南部排水門付近の天然カキだ。

 1回超えればすぐに健康を害するわけではない。だが、地元には毎日食べる人もいる。

 南部排水門近くの漁港で会った漁民(71)は、「体温が上がり、夜中にトイレに起きなくてすむので冬のシーズン中は(天然カキを)毎日4、5個は食べよる」と言った。 

 天然カキは諫早湾岸域では「石花」(せっか)と呼ばれる。岩に密集してつく様は、確かに石の花のようだ。潮受け堤防の外に残された干潟には、干潮時に今もカキ打ちをする住民の姿が見られ、広く食べられている。私も食べたことがある。養殖物より小ぶりだが、濃厚な味だった。

 ミクロシスチンは慢性的毒性や発がん促進作用もある。その漁民は健康に異常はなく、地元で天然カキを食べて苦しんだという話も聞かないと証言した。他にも数人に聞いたが同様だった。南部排水門付近の地域を管轄する長崎県県南保健所にも最近肝臓の病気が増えているか問い合わせたが、「把握していない」との回答だった。

 ただ、肝臓は「沈黙の臓器」とも言われ、すぐに症状は出ない。また、肝臓を悪くする原因は酒など他にもあるので詳細な調査が必要だ。

■食物連鎖で濃縮されるアオコ毒

 高橋教授がアオコの本格的な調査を始めたのは2007年だが、一体いつからアオコが発生していたのか調べたところ、2000年10月15日の毎日新聞がアオコ発生を報じていた。アオコが発生するには塩分が3から4psu(実用塩分濃度=海水の電気伝導度を塩分値に換算した値)以下である必要がある。

 そのレベルに達したのは1997年に諫早湾が閉め切られ、調整池の淡水化が始まった同年夏だ。だが、塩分が安定して下がったのは翌98年以降なので、以後毎年アオコが発生していた可能性があり、その頃から調整池と諫早湾の魚介類の汚染が始まったと高橋教授は見ている。とすれば、10年以上もミクロシスチンなどのアオコ毒で汚染され続けていることになる。

 アオコ毒は食物連鎖で濃縮される。一般的に、化学物質はミジンコが小魚に食べられ、小魚が捕食者に食べられるという具合に食物段階が一つあがるごとに数十倍に濃縮される。だから、数段階で何千、何万倍にも濃縮されてしまう。事実、調整池で捕獲したボラの肝臓からはこれまでで最高1g当たり2.4μg、卵巣から同0.17μgという高濃度のミクロシスチンが検出されている。

 「調整池は、今や巨大毒物製造工場です」と高橋教授は言った。

 かつて愛嬌物のムツゴロウが飛び跳ね、日本一広大だった諫早干潟は、抜群の水質浄化能力があった。それが正反対の変わり果てた姿になってしまった。

■批判や質問に答えない長崎県

 この調整池のボラなどを、中国から干拓地や沿岸の紡績工場に出稼ぎに来ている労働者が獲って食べているという情報を高橋教授は耳にした。

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