ホームでありホームでなかった宮城
2012年11月30日
シーズンの山場、さらに重要な試合は、まだまだ先にいくつも控えている。
今回の一戦はまだ序盤の試合のひとつでしかなく、グランプリファイナル進出がかかっているとはいえ、是が非でも好成績をとらなければならない状況でもない(3位までに入れば進出確定。4位でも他の選手の成績次第で進出可能)。本来ならば全力投球するのではなく、軽く足慣らし的な使い方をしてもいいはずの試合だっただろう。
それでも羽生結弦にとって、NHK杯は今シーズンいちばんの‘難所’だった。
悔しかったスケートアメリカ終了後、プログラムを滑りこみ、ジャンプをただ跳ぶのではなく音楽の流れる中で自信を持って跳べるように、4回転でミスをしても他のジャンプで加点がつくように、よりハードな練習を重ねてきた。
身体のコンディションも、トロントでフィジカルケアを担当しているマッサージセラピスト・青嶋正氏が「NHK杯は、楽しみにしていいと思いますよ!」と太鼓判を押すほど、良い感じで上がっていた。さらにはスケートアメリカでうまくいかなかったピーキングの対策も、オーサーコーチとともに万全を期してきた。
「アメリカ大会では公式練習からばんばん跳んで、調子を上げてしまって……フリーで結局落ちてしまったんです。だから今回は調子を上げ過ぎず、抑えながらフリー当日まで持っていくこと。オーサーコーチのアドバイスで、しっかりやってきました」(ショートプログラム前日のコメント)
すべてにおいて不安をなくすために、可能な限りの準備はしてきた。それでも彼の上に重くのしかかったのは、開催地が宮城県の仙台近郊であったことだろう。今回のNHK杯がただの「故郷での開催」、それだけではないことは、誰が見ても明らかだ。事前取材では報道陣から、震災がらみの質問が何度も飛ぶ。
「宮城県開催ということで……震災のあと、ここでこうしてNHK杯を滑らせてもらえること、不思議だな、と思います。仙台では5年前に、全日本ジュニアとNHK杯があったんですよ。僕はその時、全日本ジュニアで3位、NHK杯ではフラワーボーイとして出ていたんです。5年前からあっという間にシニアに上がって、今は同じ仙台のNHK杯を戦ってる。僕はこの地でずっとがんばってきたんだな……って改めて思います」
2007年の全日本ジュニアとNHK杯での彼を、覚えている人は多いだろう。場所は今回とは違う仙台市体育館だったが、地元出身の中学1年生が、まだジュニアの資格を持たないノービスクラスからの特別参加で、全日本ジュニア3位に入ってしまったこと。そしてNHK杯で、たくさんの女の子に混じってお揃いのコスチュームを着、「地元のちびっこスケーター」として、大会運営をお手伝いしていたこと。「あのフラワーボーイを、撮っておいて!」などと、カメラマンに声をかけたことも思い出す。
今回の仙台開催が、「5年ぶりのNHK杯、世界銅メダリスト凱旋」だけの大会だったら、どんなに楽しかっただろう。
「震災から1年半……いろいろなことがあって、今、宮城でスケートが滑れることが不思議です。去年の3月からここまで、ほんとうに長かったなあ、と。でも、あっという間にここまで来ちゃったな、という気持ちもあって、なんだか時間の感覚が不自然(笑)。とにかく、皆さんの前でしっかりといい演技をしたいですね。ちょっとプレッシャーはあるけれど、みんなの期待にこたえたい。今、何事もなくこうして元気に滑れている僕だからこそ、みんなの前でいい演技をしたいです」
ちょっと弱々しく笑いながら、ひとことひとこと選びつつ、紡いだ言葉。
さまざまな方向からの期待、重圧。帰国のタイミングで取材は殺到し、震災関係のイベントにも声をかけられ、試合に集中することも簡単ではなかった。もちろん応援の声や地元のサポートに暖かく背中を押されてもいたが、それでもさまざまなものをひとりで背負って、羽生結弦は仙台のリンクに立たなければならなかった。
何度か向けられた地元がらみ、震災がらみの質問に対しても、一瞬言葉に詰まったような表情をしてから、気持ちを奮い立たせて口を開く。
「もう、羽生君に震災のことを聞くのは、やめた方がいいんじゃないか?」
なじみの記者の間からは、そんな声さえあがる。
NHK杯はただでさえ、日本選手にとって特殊な試合だ。今、世界で一番フィギュアスケートの注目度が高い国での国際試合。観客の数も報道陣の数も、他の5カ国で戦う時の、数倍から10倍ほど違う。これまで海外のグランプリシリーズしか経験がなく、NHK杯初出場となる今井遥などは、「まるで全日本見たい。アメリカやロシアとは、全然雰囲気が違います」と目を丸くしたほどだ。
そこに地元の重圧、震災復興の象徴的な期待がかかった羽生結弦の緊張、気負いは、スケートアメリカの比ではなかっただろう。宮城のリンクは彼にとって、ホームであってホームではなかったのだ。
だから初日のショートプログラム。4回転を完璧に跳んでも、トリプルアクセルを成功させても、まだ彼の身体の動きは硬かった。「僕の感覚では、3回転ルッツ-3回転トウを決めるまでは、すごく硬かったと思います。4回転は自分の中で感覚が掴みきれているので、とりあえず大丈夫、と思った。でもルッツ-トウは、僕にとっていちばんの鬼門でしたからね」
確かに、最初から最後までエネルギーがみなぎっていたスケートアメリカでの演技に比べると、三つのジャンプを跳び終わるまでは「ずいぶん慎重に滑っているな」という気がした。スピンも勢いで回るのではなく落ち着いてカウントしているように見えたし、滑りそのものにも硬さがあった。ジャンプを三つ決め終わるまで、ここまでは、決して世界最高得点の滑りではなかっただろう。
しかし、
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