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日本のテレビ局はなぜ反原発の動きを報じ損ねたのか?

金平茂紀

 日本のほとんどのメディアがロンドン五輪漬けになっているなかで、このような文章を書くのは心が重たくなる。だが、きちんとこの問題を論じることが大事だ。とかく一色に染まりがちと言われている日本のマスメディアにおいて、首相官邸前や各所で展開されている脱原発、原発再稼働反対を訴えるデモ・集会をめぐっては、メディア間にはっきりとした扱いの違いがみられるからだ。この違いはどのような理由によるものなのかを把握しておくと、そこに自ずと見えてくるものがあるのではないか。

 違いは新聞において明白だ。読売・日経・産経といった新聞は明らかに、脱原発集会、デモの報道に対して抑制的、あるいは露骨な嫌悪さえ滲ませている。逆に、東京・毎日・朝日の各紙は今回の事態に一定のニュース性を見出して、比較的大きく報じていた。とりわけ東京新聞は、紙面を大きく割いて集会・デモの様子を詳報している。

 テレビ各局の報道の仕方にも違いがみられた。僕は在京の民間放送局に勤務している。もちろんすべての報道をチェックしていたわけではないが、体感として伝わってくる温度差が各局のあいだには確かにあった。さらには、同じ局のなかでも番組によって、さらには曜日によって違っていたこともわかった。

 違っていること自体はよくも悪くもない、と言いたいところだが、あれほどまでの数の市民が「非暴力直接行動」という形で街頭に繰り出したという事実が、有力新聞において全く無視されている事態に異様なものを感じるのは僕だけではあるまい。海外メディアの特派員たちは、日本の一部のメディアのあまりの過小報道ぶりに、現場で驚きを隠していなかった。

●異議申し立てを報じないテレビ

 これまで日本のテレビは、ごく概括的に言えば、原発について異議申し立てをする集会やデモに対して実に冷淡だった。ほとんど取材さえしていなかった局もあるのが現実だった。スリーマイル島原発事故(1979年3月)やチェルノブイリ原発事故(86年4月)の直後には、日本でも市民らが活発に反原発運動を展開したが、バブル経済の絶頂期を経て、それらの「警鐘」は忘れ去られていった。99年9月の東海村JCO臨界事故直後にもそれなりの市民らの動きはあったのだ。だが日本経済の景気後退から「失われた10年」といわれる局面に入って、原発に対する市民からの異議申し立て報道は、徐々に消えていった。とりわけ〈3・11〉以前の10年余りの時期、反原発・脱原発運動はマスメディアから、とりわけテレビからはほぼ完全に消え去っていた。

 例外的な番組として記憶に残っているのは、大阪・毎日放送の『映像08 なぜ警告を続けるのか~京大原子炉実験所・“異端”の研究者たち』(2008年放映)くらいだ。いわゆる熊取六人衆について正面から取材していた。放送後に局に対し関西電力からクレームがつきトラブルとなった。〈3・11〉前には、地球温暖化をふせぐためのCO2削減の目的に合致すると称して、政府主導の「原発ルネサンス」報道が席巻していたことは記憶に新しい。

 そのようななかで〈3・11〉により福島第一原発で史上最悪規模の過酷事故が起きたのである。政府は「収束」を宣言しているが、真の「収束」までには今後数十年という膨大な時間を要する事態が今現在も続いている。この新事態を受けての市民の動きは、これまでのどのような市民による反原発・脱原発運動とも異なった新しい次元のものとなった。それは「当事者性」ということに引きつけて考えるとわかりやすい。

 参加している市民の切迫感、内発性、もっと言えば「本気度」の点でかつてないほど突出していたのである。実際に現場で目撃したのだが、被災地の福島県から乳児を抱えながら、個人としてやむにやまれず参加してきたお母さんたちが数多くいた。

 その「本気度」が反映されて、参加人員の急激な拡大、運動の形態の自由な広がり、SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)経由の圧倒的な情報の共有、主催者としての政党・労組の後退などいくつものニュース要素が登場してきた。そのことに既成メディアであるテレビは気づいていただろうか? それまでの10年余りの報道の日常感覚に埋没して、「どうせデモやるああいう人たちでしょう」というような慣性・惰性に支配されていなかったか?

●メディアと市民の絶望的な「距離」

 僕が個人的に抱いている悔悟を敢えて言えば、今の日本のテレビ報道の現場を指揮しているデスク、キャップ、編集長クラスに、「失われた10年」のなかで刷り込まれてしまった大衆運動軽視、蔑視の感覚に色濃く影響された世代が多いということがある。換言すると、スリーマイル島、チェルノブイリ、JCO事故直後に報じてきた異議申し立ての動きの価値を、これらの世代に継承できなかった僕らの世代の責任ということになる。

 後続世代の大衆運動、社会的な異議申し立てに対するアレルギー、嫌悪感、当事者性の欠如には凄まじいものがある。デモや社会運動という語にネガティブな価値観しか見出せなくなっているのだ。これはおそらく日本的な特殊現象であり、かなり異様な事態である。欧米では、言うまでもなくデモは権利である。

 だがこういう僕らの同僚たちが「アラブの春」だの、エジプトのタハリール広場の大衆行動については、ポジティブな評価を与えているのである。ニューヨークのウォール街占拠運動にさえ「あれは格差拡大に反対する99%の異議申し立てだ」と理解を示す。だが自分たちの足元で人々が繰り出すと、そこに連続性を見出すどころか、「距離」を置く同僚・後輩たちがいるという冷徹な現実がある。

 既成メディアに対する人々の不信感は、この「距離」に由来する。6月29日に僕らは首相官邸前で大飯原発の再稼働反対デモの取材をしていたが、「お前らは取材してもどうせ放送なんかしないのだろう」「帰れ!」という言葉を浴びた。同行したカメラマンは必死に罵声に耐えていたが、ニューヨーク・タイムズのマーティン・ファクラー東京支局長がニヤニヤしながらそれを見ていた。「メディアに対して厳しいね」と彼は言っていたが、それには理由があることを彼は知っている。日本での取材歴が長く、日本語も器用に操る彼は、近著『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(双葉新書)の中できわめて本質的な指摘をしている。

 〈私が12年間、日本で取材活動をするなかで感じたことは、権力を監視する立場にあるはずの新聞記者たちが、むしろ権力側と似た感覚をもっているということだ。似たような価値観を共有していると言ってもいい。国民よりも官僚側に立ちながら、「この国をよい方向に導いている」という気持ちがどこかにあるのではないか。やや厳しい言い方をするならば、記者たちには「官尊民卑」の思想が心の奥深くに根を張っているように思えてならない〉

●「官尊民卑」がもたらす取材感覚の欠如

 悲しいかな、ファクラー氏の指摘に反論するべき論拠が僕にはない。こうした「官尊民卑」の思想は、市民の集会・デモを扱う姿勢に端的に表れている。つまり、いつのまにか警備する側の立場に報道機関側が同調してしまっていなかったか。まず参加人数にこだわる。主催者発表と警察発表を並列的に報じて恥じない。逮捕者が出ても、「公務執行妨害で2名が逮捕されました」で終わり、その逮捕が不当か妥当かを報じようとする姿勢がハナからない。そもそも逮捕を疑ってかかる発想そのものが取材記者たちから失われてしまっているのである。

 ましてや警備体制のあり方について検証するような姿勢などほとんど見当たらない。「車道にはみ出さないでください。歩道に留まって立ち止まらないでください」と警察が連呼し続ける。ところが歩道から溢れるほどの人数が集まってしまっているのだ。そうすると、歩道に押し込める警備方針の方が危険になる。実際、車道に人々が溢れだしたことが何度かあったが、それはいわば、けが人が出るおそれが避けられた「緊急避難」だったとも言える。あるいはデモ・集会参加者らの顔を警察の警備・公安担当が実に大っぴらにビデオ撮影している。明らかに肖像権の侵害だ。だが、そのような風景に疑問を感じる記者がもういなくなっているのだ。

 60年反安保闘争のデモ取材に関わっていた僕らのはるか先輩たちの生中継放送記録を僕は聴いたことがある。「警官隊のひどい暴力です。今、警官が私の腕を掴んでいます。これが日本の民主主義の姿です」(ラジオ関東の放送)。今から考えると信じられないような生々しい放送が実際に行われていた。僕はそれがいいと言っているのではない。そのような報道がなされていたという事実をそもそも知らないことが問題なのだ。

 NHKはこの間、原発に異議申し立てをする集会・デモの動きに対して、実に反応が鈍かった。それはまさに「官尊民卑」を地で行くようなオンエア感覚だ。このことはNHKの内外からも「なんだか変だ」という形で具体的に表明されている。

 市民団体の「放送を語る会」が、7月16日にNHKの目と鼻の先、代々木公園で行われた「さよなら原発10万人集会」をテレビ各局がどのように報じたかモニターした結果を公表している。この日の集会・デモは、主催者発表で17万人という脱原発集会として〈3・11〉以降では空前の規模の人々が集まった。僕自身、取材に行っていたので体感しているのだが、呼びかけ人の大江健三郎が「私たちは侮辱のなかで生き、その思いを抱いてここに集っている」と述べ、坂本龍一が「福島の後に沈黙していることは野蛮だ」と信条を語った。坂本はさらに「たかが電気のために、なんで生命を危険にさらさなければならないのですか」と訴え、参加者たちの大きな共感を得ていた。言葉の力をひしひしと感じさせられたシーンだった。

 同会のモニターによれば、テレビ朝日の「報道ステーション」、TBSの「ニュース23クロス」、日本テレビの「ニュースZERO」といった番組がそこそこの時間枠を確保して報じていたのに対して、NHKの「ニュースウォッチ9」は1分半程度、しかも政府主催の意見聴取会の「まるでインサート映像扱いになったようにもみえた」と手厳しく批判されていた。フジテレビの「ニュースJAPAN」に至っては、オーストラリアでカンガルー大量発生(4分10秒)という暇ネタ以下の扱いで、35秒程度だったという。これくらい局によって扱いは違っていたのである。

 僕自身は、当日の「ニュースウォッチ9」や「ニュースJAPAN」の編集長をやっていた人物が誰かを知っているが、おそらく彼ら個人の判断以上に何としても大きく扱いたくない「空気」が職場に蔓延しているのだろう。

●記者の基本動作がなぜできないのか

 僕の記憶では、首相官邸前の抗議行動をめぐっては、6月22日の「報道ステーション」の「ツイッターで広がるうねり」というミニ特集が、最初に詳報したのではなかったか。この時は4万5千人という人々が首相官邸前に集まったが、NHKはカメラクルーを出していなかった。この間の事情をNHKの元プロデューサー永田浩三氏はこう語る(『マスコミ市民』12年8月号から)。

 〈たとえば「ニュースウォッチ9」をみても、……あれだけ多くの人たちが大飯原発再稼働に反対して首相官邸を囲んでいるのに、4万5千人が取り囲んだ時は、クルー一つ出していません。ですから、その翌週は「正しい報道ヘリの会」が立ちあがりました。NHKは日常的にヘリコプターを使えるのに、「どうせNHKは取材してくれないだろうから、皆でお金を出し合ってヘリコプターを飛ばそう」と、なけなしのカンパが集められたのです。涙が出るほど情けない事態です。NHKはもういらないと言われたようなものです〉〈その翌週の金曜日の午後、僕はNHKの仲間に電話をして、「今日また取材しなかったら、大変なことになるよ」「いま報道しなければ、市民から強い批判に晒(さら)されるだろう」と言いました〉〈権威や公の機関に尻尾を振って情報をもらい、何の疑念も持たずに情報を垂れ流していてはなりません。経産省前のテントに集まっているのはどういう人たちなのか、首相官邸前で声を上げているのはどういう人たちなのか、自分たちでちゃんと取材をして見極めることができていないと思います〉

 NHKの現場の記者たちのなかにも、息苦しさを感じている人たちがたくさんいる。彼らは今、声を潜めている。組織の論理が記者の良心を押し潰しているのだ。

 〈3・11〉以降の歴史の大きなうねりの証言者となるべく、現場に足を運んで取材を続ける、発信を続けるのは、報道者としての基本の基本だろう。それがなぜできないのか。マスメディアに関わっているひとりひとりが考えるべき時が来ている。(「ジャーナリズム」12年9月号掲載)

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金平茂紀(かねひら・しげのり)

TBSテレビ執行役員(報道局担当)。1953年北海道生まれ。77年TBS入社。モスクワ支局長、「筑紫哲也NEWS23」編集長、報道局長、アメリカ総局長などを経て2010年9月より現職。著書に『テレビニュースは終わらない』『報道局長 業務外日誌』など。