魚住昭
2012年12月26日
ご承知のように、清武氏は昨年11月、記者会見を行い、親会社である読売新聞グループ本社会長の渡邉恒雄氏による巨人軍への不当な人事介入を告発した。
ニュースを聞いて私は仰天した。00年に『渡邉恒雄 メディアと権力』(講談社文庫)を書いた時、渡邉独裁体制に公然と反旗を翻す者はもう現れないと思い込んでいたからだ。
多くのメディアも当初は驚天動地の「清武の乱」と書き立てた。だが、その扱いはすぐ「たかがコーチ人事をめぐるコップの中の嵐」と冷ややかなものに変わっていった。
私はその成り行きに違和感 を覚えた。清武氏が問いかけたのは、単なるプロ野球球団内部のコンプライアンス(法令順守)の問題だけだったのか。本当に問われるべきは、渡邉体制下で言論の自由が逼塞した巨大情報コンツェルンのあり方なのではないか、と。
ちょうどそのころ友人が「清武さんと会いませんか」と声をかけてくれたので都内の中華料理店で昼食をとりながら話をした。初対面だったが、彼のことはよく知っていた。
清武氏は90年代の金融証券スキャンダルの調査報道で名をはせた元社会部記者である。彼の取材班(通称・清武班)が第一勧銀の利益供与事件を追った『会長はなぜ自殺したか 金融腐敗=呪縛の検証』(新潮文庫・七つ森書館が復刻)は、金融業界の暗部をえぐる傑作ノンフィクションだった。 私は清武氏に言った。
「大抵の人たちはあなたがなぜ突然渡邉会長を告発したのか、真意を測りかねています。でも僕には分かる気がする。なぜなら僕も(共同通信)社会部の記者だったから……」
社会部は日常的に人の死に関わるセクションだ。時には自分が書いた記事が人を自殺に追いつめることがある。社会正義のためとは言え、遺族の嘆きは重く心にのしかかってくる。
せめてもの償いは、相手の社会的地位に関わらず、批判すべき行為は批判して誰も、たとえ上司であっても特別扱いせぬことだ。そう決意することで辛うじて精神の平衡を保つ。
「第一勧銀事件では宮崎邦次元会長が自殺しましたね。『会長はなぜ自殺したか』を読むと宮崎元会長の自殺が根深いところであなたの今回の行動 を規定しているような気がする。第一勧銀のコンプライアンス違反を徹底的に暴いた自分が、いざ巨人軍で同じようなコンプライアンス違反に手を染める。それがどうしても我慢できなかったのではないですか」
私の問いかけに、清武氏はこう答えた
「宮崎会長だけじゃありません。一連の事件では新井将敬議員など計6人の自殺者が出てるんです。取材する側の私たちには、誰かがもう少し早く、『おかしいものはおかしい』と指摘していたら、こんな悲劇は起きなかったかもしれないという思いがあった。組織の同調圧力に流されずにおかしいものはおかしいと指摘しよう、と私はこの本で言いたかった。だから私も(巨人軍で)おかしいものはおかしいと言わなくてはならなかったんです」
私が読売を取材した90年代末、渡邉氏の独裁支配に異を唱える勢力が社内にあった。読売
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