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[11]GPファイナルリポート(番外編)

五輪の街、ソチの素顔

青嶋ひろの フリーライター

 2012年グランプリファイナルが開催された、ロシア連邦グラスノダール地方ソチ市。

 約1年後に開幕するソチ冬季五輪の開催地ということで、今回のファイナルは、フィギュアスケートのテストイベントという位置づけだった。テストイベントといっても、これが五輪予選であったり、今回の成績が五輪本番に影響したりするわけではない。あくまで大会運営が滞りなく行われるかどうか、本番と同じ施設を使ってのプレイベント、という意味合いだ。

 開催地、ソチ。正直に言えば大きな不安を抱いて、選手や関係者、報道陣はこの地を訪れた。バンクーバー五輪後、ある選手がソチまで現役続行か否かを尋ねられた時、「開催地がまたカナダだったら、もう一度チャレンジしたい気持ちになったかもしれない。でもロシアでは……」と語ったことを思い出すが、選手にとっても日本チームにとっても、さらに我々報道陣、また応援に駆け付けるファンにとっても、開催地の環境はとても重要だ。治安、物価、食事、街の雰囲気、大会運営……すべてがふだんの練習環境、生活環境に近いほうが、不安は少ない。

 北米、ヨーロッパ、アジアなどで開催されるフィギュアスケートの試合の場合、モスクワで開かれるロシアカップなどは、どちらかといえば日本の選手たちに不人気の大会と言われている。

 ましてや、ソチ。これまで、フィギュアスケートの大きな国際大会が開かれた記憶はない。日本の選手、関係者は、ほぼ誰もソチに行ったことがない。NHK杯で優勝したロシア人ペアに聞いても、「私たちもまだ行ったことがないのです」と答える街――いったいどんな手ごわい場所なのだろうか?

 現地入り直後のソチは、想像以上の手ごわさだった。

 まず、空港タクシーが手ごわい。深夜0時にソチ着、ホテルまでの移動手段はタクシーしかないのだが(選手たちは国際スケート連盟が手配したバスに乗れる)、わずか1キロの距離に請求された金額は、なんと1万2000ルーブル! 日本円にして約3万3000円である。

 しかもこのタクシー、いかにもぼったくりの白タク風に客引きをしていたのではなく、制服を着た女性の空港職員に誘導された車だったのだ。1万2000ルーブル……一瞬、ルーブルって4で割ると円になるんだっけ? と混乱しそうになったが、ここを言い値で払ってしまたら、しょっぱなからソチに完敗である。わあわあわめいて(ほとんど日本語で)結局2000ルーブルにまで下げてもらったが、それでも5400円。ぼったくりには変わりない。

 「ダメじゃないですか、メーターがついているかどうか、ちゃんと確認しないと!」と日本からの電話で怒られたが、メーターの付いているタクシーなど、ソチにいた9日間でただの一台も見かけなかったのだ!

 手厳しい洗礼のあとも、散々な話は続く。街では英語がほぼ通じない、日本円の両替をする場所がどこにもない、野犬がうろうろしていて襲われた記者がいるらしい、渋滞がひどい(20分で行けるはずの距離に1時間半かかった)、ホテルのネットが2日以上繋がらない……などなど、日本から来た人々の間では、毎日のようにソチへの文句が飛び交う。

 選手のホテルが古くて汚いとの報道もされたが、実はこのホテル、長期療養中の人々が逗留するサナトリウムで、大会関係者以外の宿泊客は、すべてご年配の方だったとか。ロシアきってのリゾート地として知られるソチは、温泉も沸く転地療養の適地。ソチ市全体にサナトリウムが50件以上あるのだという。

 オリンピックに向け、大規模なホテルや選手村が建設中だが、まだ大人数をまとめて収容できるホテルはなく、大きなサナトリウムが選手のホテルに割り当てられたわけだ。一方で、多数の報道関係者が泊まったホテルは、開業して2週間たったばかり。こちらは逆に新築ぴかぴかだが、出来たてすぎて自動販売機やキャッシュディスペンサーなどの設備がなく、ホテルのまわりにもレストランや雑貨屋など皆無という立地だった。

 ソチ入りして唯一良かった点を挙げれば、気候が想像以上に暖かかったこと。ロシアといえば冬のモスクワの極寒を、フィギュアスケート関係者はよく知っている。成田空港のユニクロでヒートテックを買い足していたら、これから同じ飛行機に乗る顔見知りに会ってしまったし、カイロも十分な数を持参した。

 しかしソチでは、特別な防寒具はまったく不要。飛行機を降りた瞬間、第一声が「寒くない!」だったくらいの暖かさなのだ。街行く人は薄手のコートを羽織っているものの、気温は日本の10月くらい。スケートの試合は寒い街で寒い時期に行われることが多いため、この暖かさは本当に助かった。身体が冷えない環境は、選手のコンディションを考えても悪くないだろう。オリンピックの開かれる2月も、気温はほぼ同じだというから嬉しい。

 さすがロシアきってのリゾート地、と言いたいところだが、選手のホテル周辺の街(ソチ市アドラー区)は、暖かいだけでほとんど普通のロシアの街と変わらない。樹木が少し南国風の植栽かな、と思うだけで、シーズンオフとはいえリゾート地的なムードがまったくないのは残念だった。

 そして、肝心のオリンピック関連施設。フィギュアスケート、スピードスケート、アイスホッケーといった氷のスポーツの試合は、すべてソチ市東部に位置する埋め立て地に建設中の、ソチオリンピックパークで開催される。アドラー市街からは渋滞がなければシャトルバスで20分ほどの立地だが、まずこのオリンピックパークの様相に目を疑ってしまった。

 フィギュアスケートとショートトラック会場のアイスバーグ、アイスホッケー会場となるボリショイ・アイスパレスなど、いくつかの施設は完成していて、こうしてテストイベントも行われている。しかしその周辺、選手村等の施設やホテルなどは影も形もなく、広い埋め立て地一面が、どう見てもがれきの山なのだ。

 「これは、間に合うのか……」

 人々はあまりの惨状に、言葉を失いながらシャッターをきる。見たこともないような、あまりに広大な大規模建設現場。日本ではこんなところに、工事関係者以外足を踏み入れることはないだろう。そこに、多数のシャトルバスがやってきては、着飾ったお客さんたちを吐きだしていく……なんともシュールな光景だった。

 市街地と会場を結ぶ鉄道は完成したばかりで、まだ運行されていない。市街からオリンピックパークへの移動手段は、唯一シャトルバスのみなのだ(そこを無理やり歩いて辿りつこうとしたスポーツ紙の記者が、野犬に襲われた)。

 4年前の五輪プレシーズンにも、四大陸選手権で本番会場を訪れたことがあったが、バンクーバー五輪は新規に建物を作らず、既にある施設を使うエコ五輪。こうした形で鋭意準備中の開催地を訪れるのは初めてのことだ。とにかく驚くほかなかったが、夏の五輪も取材している記者によれば、2004年アテネ五輪の1年前も、ちょうどこんな感じだったらしい。

 「ソチ、間に合うのか?」

 たぶん、大丈夫だろう。毎年開催されているモスクワのロシアカップも、選手の公式練習が始まっている最中に、リンクの整備が並行して行われていて、滑っている選手が金づちや釘を踏み付けそうになっている。それでも大会初日には、全てが滞りなく準備できているのだ。2011年、東京で開催されるはずだった世界選手権が震災で中止になった時、わずか1カ月後に代替開催を決行したのもロシアだ。「こんなことができる国はロシアしかない、って思ってましたよ(笑)」とは、ペア・ロシア代表の川口悠子選手の言葉。

フィギュアスケート会場となるアイスバーグ。建物は出来上がっているが、周囲は完璧に工事中=撮影・筆者

 気を取り直して、出来たてのフィギュアスケート会場、アイスバーグ・スケーティングパレスに入ってみよう。手荷物検査がかつてないほど厳しく、女性には女性のボディチェックが毎日付く。ペットボトルの水の検査があり、ポケットに入れたICレコーダーまで、「これはなんだ?」といちいち稼働させられるのには辟易したが、これはまあ仕方がない。

 会場内はさすがにどこもかしこもぴかぴかで、白と水色の会場デザインは選手たちにも好評だ。しかし、できたばかりなのに頻繁にエレベーターが止まるのは、なぜだろう? できたばかりなのに、もうトイレの鍵が壊れていて扉が閉まらないのはなぜだろう?

 「ここはロシアだからね!」

 笑顔のスタッフの言葉に、苦笑いを返すしかない。

 「でもソチでのファイナルなのに、お客さんがずいぶん少なかったじゃないですか?」

 日本でテレビ中継を見ていた人からそんなことも聞かれたが、これも仕方がないだろう。国際大会の開かれたことのないソチの人々にとって、フィギュアスケートはあまりなじみがない。大きな大会となると街中にポスターが貼られ、幟が立つことも多いのだが、今回のファイナルの告知的なものが見られたのは、ほぼソチ空港内だけだった。街の人のほとんどはファイナルが開催されていることすら知らず、訪れる人の大半は、モスクワなどからやってきた、ロシアのフィギュアスケートファン。そして世界中どこにでも応援に来てくれる、熱心な日本のスケートファンたちだ。

 余談だが、ロシアのスケートファンは日本のスケートファンによく似ている。モスクワのホテルなどで、ジョニー・ウィアーを囲むロシアファンの集いなどを見かけることがあるが、ホテルまで選手を追いかける熱心なファンは、だいたい日本人かロシア人。自国選手だけでなく、気に入った選手は何人だろうと熱く応援してくれる。もちろん自国選手への応援も熱心なため、会場に張り出される選手の応援バナー(横断幕)は、日本人選手の次にロシア人選手が多い。

 男女を問わずお年寄りのファンが多い北米、家族そろって観戦に来る中国などに比べて、日本同様、女性客率が高いのもロシアの特徴だ。しかし中には濃い男性ファンが散見するのも日本、ロシア共通で、今回もシャトルバス内でロシアの男性ファンにこんこんと選手論を聞かされた。恐るべきことに彼は、NHK杯における鈴木明子と浅田真央の得点差まで知っていて、驚く我々に「アイム・ウィキペディア!」などとのたまった。

 そんなロシアのスケートファンも、さすがにモスクワからソチまでは来られる人は限られている。地元の観客も少ない。日本からの応援団も、北米やアジアの試合ほどは多くない。よって観客席は少しさびしく、上階では軍隊が動員されて空席を埋めたりもしていた。しかし今どき、どんな試合でも会場がいっぱいになる日本のほうが、世界では珍しいのだ。

 そんななか、唯一オリンピックらしい雰囲気を醸し、明るい気持ちにしてくれたのは、会場案内を担当するスタッフたちの笑顔だ。ロシアでのいつもの国際試合、スタッフはかなり無愛想で不親切だ。時には銃剣を腰に下げた軍人が場内警備をしたりしていて、ちょっと怖い。

 しかし今回、五輪本番でも警備や会場係を担当するというボランティアたちは、誰にでも明るく「ズドラストヴィーチェ!(こんにちは!)」と声をかけてくれた。すでにソチ五輪オフィシャルの鮮やかなユニフォームを纏(まと)っており、彼ら彼女らが笑うと、そこはもうすでにオリンピック、という雰囲気。時にはバックステージで選手を捕まえ、サインをせがんだり写真撮影をお願いしたりといった一幕もあったが、それも含めてお祭りは始まっている、そんなムードだった。

 また、まったく完成形が見えないオリンピック村だが、各種競技場をはじめ出来上がっている部分のデザインは、なかなかに斬新。特に五輪公園入り口、大地に巨大な五色の輪が突き刺さるモニュメントなどは、世界的な祭典にふさわしく壮観だった。できあがればきっと、黒海に沿って素晴らしい景観を作りだすだろう。「まるでアトミックボムが落ちたような有様でしょう?」とロシア人さえ笑えない冗談をいうこの場所が、1年後、どう変貌しているのだろうか。

 グランプリファイナル終了後――飛行機のチケットが取れなかったため、帰国まで2日ほどソチに残らなければならなかった。モスクワ-成田間の飛行機は問題ないのだが、ソチ-モスクワ間のフライト数が少なく、多くの関係者が選手より1日、2日遅れての帰国となったのだ。

 他の報道陣はスキーのプレイベント取材や、山間部の五輪施設を見て回るメディアツアーに参加したようだが、スケートしか取材をしない筆者は、時間の許す限りソチの街を散策してみることにした。

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