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[5]ニセモノの自然

永尾俊彦 ルポライター

■川の生態系も破壊した潮受け堤防

 ユスリカは、連載(4)で紹介したように調整池の有毒アオコを餌にすることで大発生する。そして、アシナガグモやウスバキトンボなどに食べられることでアオコの毒素ミクロシスチンが濃縮され、調整池の外の生態系にまでミクロシスチンの汚染が広がっている。ユスリカは汚染拡大の媒介役になっているのだ。

 しかし、意外なことに、「ユスリカ自体に罪はありません」と、元高校の理科教師で生態学研究者の桃下大(ひろし)さんは言う。

 ユスリカは、調整池のヘドロを食べて育ち、羽化して調整池の外に出て死ぬ。つまり、調整池の外へ有機物を持ち出し、「ドブさらい」をしてくれているようなものなのだ。桃下さんと、共同研究者の高校で生物を教える縄田とよかさんは、調整池のユスリカは、宮崎駿監督のアニメの名作『風の谷のナウシカ』に出てくる「腐海の森」のようなものだと口をそろえる。「腐海の森」は、汚染された土壌を浄化する点でユスリカの働きに似ているというのである。

 しかし、「ユスリカという『浄化屋さん』を雇わなくてはいけない仕組みにしていることが問題なんです」と縄田さんは考えている。

 その「仕組み」とは、全長7キロの潮受け堤防で諫早湾を閉め切り、海と川のつながりを断ち切ったことだ。

 桃下さんと縄田さんが製作し、ユーチューブに投稿した記録映像『諫早湾の知られざる事実』は、先に紹介した『驚異のユスリカ』編の他に5本ある。

 その一つが『カニの消えた町(前編・後編)』(http://www.youtube.com/watch?v=Ny6opB1HOa8 http://www.youtube.com/watch?v=Tw0hb-3pM4I)だ。諫早湾には大小いくつもの川が流入していたが、潮受け堤防で閉め切られ、調整池に注ぐようになった川からは、サワガニ以外のすべてのカニが絶滅した。他方、潮受け堤防の外に残された諫早湾に注ぐ川には今も10種類以上のカニがいる。

 調整池に注ぐ川で、サワガニだけが生き残ったのはなぜか。それは、サワガニが上流と中流域を生活圏にしているからだ。他のカニは、海と川を行き来し、下流の河口の淡水と海水が入り混じる汽水域を生活圏にしていた。だから、海とのつながりを絶たれたカニは絶滅したのである、とこの映像では説明される。

 「このような川は生物的な目で見ると『下流のない川』です。下流のある川にはカニがいる。下流のない川にはカニはいない」と桃下さんは言う。カニは、極めて明白に環境の変化を物語る。

 この映像の前編には、アカテガニに塩水をかけて、放仔(ほうし=放卵)させる実験のシーンがある。2センチほどの小さなカニが無数の卵を産む。放たれた卵はすぐに孵化し、ゾエアと呼ばれる幼生となって泳ぎ始める。

 かつては、その幼生が動物プランクトンとして魚介類のエサになり、泉のように魚が湧くことから「泉水海」と漁師が呼ぶ諫早湾の豊かな生態系の一部を支えていたと見られる。生き残った幼生は、やがて稚ガニになって川に戻ってくる。その往来を断ち切ったのが潮受け堤防だ。

 だから、「海と川が分断され、子孫が残せなくなったことがカニが絶滅した最大の理由です」と縄田さんは言う。

 そして、カニがいなくなるということは、アユ、川エビ、ウナギなど海と川を行き来する多くの「動物」が絶滅したということでもある。

 このような生態を描くことで、この映像は海と川のつながりの大切さを訴えている。

 潮受け堤防は、海の生態系を破壊しただけではなく、川の生態系も破壊したのだ。

■ニセモノを本物と言うゴマカシ

 しかし、長崎県は、諫早湾を閉め切って調整池を淡水化したことの意義の一つとして「新しい生態系」が形成されていることをホームページや県の広報紙『県民だより』などで盛んに宣伝している。

 2011年10月号の『県民だより』(http://www.pref.nagasaki.jp/koho/plaza/tsushin/index_2011_10.html)には、開門するとどんな影響があるかについてのQ&Aが掲載されている。

 そこには、こんな問答がある。

Q「調整池は九州最大の淡水湖でたくさんの生き物がいるよね。開門で海水が入ってきても大丈夫なの?」

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