2013年02月22日
少し話を変えるが、今回の「六本木フラワー事件」に関連して、わたしはある捜査員の一人から「関東連合は六本木の治安維持のため、温存していた面がある。暴力団が表に出れなくなってから、外国人勢力がのさばることを防ぐためだった」という発言があったことを確認している。このことは、いったい何を意味しているのだろうか。
少なくともわたしは2004年には、関東連合OBグループを中心とした「半グレ」集団が、六本木や新宿でそれなりの勢力を築いていたことを確認している。若干20歳代そこらの彼らは、その時点で既に六本木などでそれなりの地位を占めており、その後徐々にその勢力を拡大していった。ある元関東連合のメンバーの一人は2004年の段階で、「俺らはこれからどんどん大きくなっていきますよ。俺らの時代が来る、ということです」と明言していた。彼がそう言いきれたのは、暴対法の効果と結果のことを、隅から隅まで知り抜いていたからだ。そして今から考えるとはあるが、まさにその通りになったというわけだ。
今回の「フラワー事件」は、2008年に関東連合OBの関係者が殺害されたことの報復だったと言われている。この事件の背景には「半グレ」集団同士の間に「シノギ」を巡る確執があり、それが現在まで続いていることを示していた。
先述した捜査員の「関東連合を温存してきた」という発言は、警察による暴対法、暴排条例下で暴力団の勢力を削ぐことに、ある程度成功し弱体化したことが背景にある。ある意味において「夷をもって夷を制する」というような政策かもしれないが、果たしてそれは当局が意図しているように今後とも成功するのだろうか。
半グレ集団といえど、彼らの中の年長者には40歳を超える者もおり、その「キャリア」は、本職の暴力団員と比べて何ら遜色のないものである。というか、比べること自体、何の意味もないことだが、その「悪さ」に関していえば、変わりがないということを言いたいということだ。
今回の事件では、主犯格とみられる見立容疑者は現在も逃亡生活を続けている。ということは、端的に言って逃走に必要となる資金力がまだある、ということを意味している。ある警視庁の幹部は「関東連合は終わりだろう」と言っていたとも聞くが、その言葉の通り、表にはあまり出ていないが、元関東連合が関わっているとみられる資金源の摘発も、フラワー事件に前後して行われていた。しかし、見立容疑者が逃亡し続ける資金は、まだまだ枯渇していない。海外逃亡といえば、昔は新左翼過激派による政治・思想犯が定番だったが、その逃亡先は主義、思想を同じくする海外の組織だった。または亡命先の人権団体などから支援を受けることも期待できた。しかし、今の「半グレ」集団や暴力団の海外逃亡に必要なのは、身も蓋もない「カネ」である。その多寡が逃亡の成否を分ける。つまり逃亡資金なしには1日たりといえども逃亡を続けることはできないのである。
今の日本の闇社会事情において無視してはならないことは、彼らのその対応力である。暴対法施行から20年以上が経ち、彼らはその対策を練りに練ってきた。見立容疑者の逃亡もそうした対策があったからだとも言える。もう一度書くが、この見立容疑者が逃亡を続けている限り、元関東連合の壊滅などあり得ない。
フラワー事件の摘発以後、「六本木の街の勢力図が変わった」とは、その筋の人間や捜査関係者、報道関係者が口を揃えることだが、元関東連合の勢力が減退したとしても、その他の有象無象がたちまちのうちに現れたと言う。そんな彼らをこれからなんと呼称するのであろうか。仮に関東連合が無くなったとしても、半グレ集団が居なくなることは、今のところあり得ない。それはままた、連続性を持って次の段階に進むだけだろう。
暴対法と暴排条例の圧倒的な影響下にある既存の暴力団にとって、その隠れ蓑となる「半グレ」集団はもはや必要不可欠の存在となっている。暴力団員は、自らが暴力団であることを言えなくなったからで、その肩書とは別の威圧材料が必要なのである。
ある例をここで紹介しよう。東京在住の広域指定暴力団員のAが、弟分と二人、夜の街を歩いていたら、酔っ払った男が自転車に乗ってぶつかってきた。「てめぇ、このヤロー!」と絡んできたのは、Aではなく自転車の男である。Aは
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