2013年03月11日
「アップのとき、外野の芝を触ったり、鳥の声を聴いたり、遠くを見たり……。おかしいですよね。芝引っこ抜いて、みんなで嗅いでましたから。でも、そうすると、感覚が起きる感じはあります。変ですか? やっぱ、変ですよね」
興南の選手たちは、球場内でアップをするとき、ごく自然にそんな動作をする。五感のうち、味覚を除いた四つの感覚を活性化させるのだ。
視覚。聴覚。触覚。嗅覚。
我喜屋優には持論がある。
「野球でいちばん大事なのは、第六感を働かせること。そのためにも五感を常に研ぎ澄ませておかなければならない。そうすれば相手が次に投げてくるボール、仕掛けてくる作戦、わかるじゃない。たとえば、今日の夜、グラウンドに落とし穴を掘っておくでしょ。そうしたら、明日、あいつら全力で走って、落っこちるよ。それじゃダメなの。それは『慢心の第六感』。野性の動物は同じ道を歩くときでも、何かあるかなっていつも緊張している。そういう直感型の選手にならないと。勝負ごとになったら、敵は何をやってくるかわからないんだから」
我喜屋も現役時代は「直感型」の選手だった。大昭和製紙北海道時代、入社4年目にホームスチールを試みたことがある。
9回裏、ツーアウト満塁。スコアは3-4。あと1点とれば同点だった。ただし、打席にはその日、2安打と当たっている2番打者。セオリーではホームスチールはありえない。
だが三塁ランナーだった我喜屋は、1ストライクからの2球目に本塁へ突っ込んだ。ところが悠々アウト。結果、大事な試合を落とした。
我喜屋は痛いところを突かれたような顔をする。
「あれは無謀だよ、無謀。次の打者もいい打者だったのに。でも、直感的なの、好きだからさ。よし、やってみよう、って。やっちゃたんだね」
我喜屋は、選手の心にそんな第六感の種をまくためにも、まずは朝の散歩を徹底させた。
6時15分に寮の前に集合し、約15分間、各自で思うままに寮の回りを散策する。大会中は全員で列になって歩くが、普段の日はあくまで単独だ。
「後ろにくっついてるだけじゃ考えないでしょ。散歩は、読んで字のごとく、散って歩くの。それで、見て感じてきなさい、聴いて感じてきなさい、触れて感じてきなさい、って。その訓練だから」
社会人時代から同じような指導をしていた。大昭和製紙時代の教え子で、1989年の都市対抗準決勝、新日鉄堺戦で、あの野茂英雄からホームランを打ったこともある元4番の酒井司が思い出す。
「練習前に『目をつむって音を聞いてみよう』とか、よくやってましたね。いろんな音があるだろう?って」
そう言いながら酒井は実際に目をつむる。視覚をシャットアウトするだけで格段に聴覚が鋭くなる。
「……こうすると、いろんな音が入ってくるじゃないですか」
場所は、北海道苫小牧市にある日本製紙・勇払(ゆうふつ)工場の社員寮のサロン。大昭和製紙は2001年に日本製紙と経営統合し、すでに大昭和製紙の名前はなくなっている。その日は北海道に大寒波がきており、まだ秋だというのに外は真冬のように冷え込んでいた。
「……今はテレビの音と冷蔵庫の音ぐらいしか聞こえませんが、遠くに車の音が聞こえて、その向こうにはかすかに風の音が聞こえてくるような感じがしません?」
酒井は、聴覚を妨害しないよう、そう静かに語った。
我喜屋自身も、常日頃から四方八方に関心のアンテナを張り巡らせている。
1992年、バルセロナ五輪のときは、自チームのエース渡部勝美が代表に選出されたこともあり、役員として代表チームに帯同。その際はピカソ美術館にも足を運んだ。
ただし、ピカソのどんな絵がよかったかと問うと、「そんなのどうでもいいんだよ」と一蹴する。
「こいつ、変わってるな、だけでもいいじゃない。彼の絵、おもしろいっしょ。絵描きは目が鋭い。鋭いからあんな絵が描ける。音楽家は耳が鋭い。料理をする人は舌が敏感。そういう目の専門家、耳の専門家、舌の専門家とかの能力、全部、持てるようになったら野球もうまくなるよ。俺も、もっといい監督になれる。だから、野球ばっかりやってちゃダメだよ、って言ってるの」
そうして育まれた我喜屋の感性は、「我喜屋語」とでも言うべき、独特の言い回しにもよく表れている。
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