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[7]女子フリー(上)

衝撃のキム・ヨナ。鈴木明子の突然の不調

青嶋ひろの フリーライター

 女子シングルフリー、だけではなく、2013年世界選手権のすべてをひとりで持って行ってしまったのは、最終種目最終組の最後に滑った選手、キム・ヨナ(韓国)だった。

 本当にこの人は、何者なのだろう。公式練習からすでに、彼女ひとりが違うオーラを発していたし、彼女ひとりが強烈に視線を集め続けていた。

 女子のフリー、「この滑りが見られてよかった」としみじみ思ったのは、むしろ2位のカロリーナ・コストナー(イタリア)の方だ。

 ゆったりとしたボレロのリズムは、力のないスケーターではとても滑りこなせる代物ではない。しかし大柄で均整のとれた身体が紡ぎだすコストナーの滑りは、鳥が舞うように優雅に3拍子にマッチする。あるいは、艶やかな黒衣の女神の作りだすリズムだけの世界に、見ているこちらの身体も自然に波打ってしまうよう。

 フィギュアスケートの新しい地平を開くようなプログラムだっただけに、最後のジャンプの大きな失敗は、ほんとうに惜しかった。もう一度、このプログラムを完璧な形で見る機会はないものだろうか。

 また、初出場で7位と健闘したジジュン・リー(中国)。彼女もあどけないジュニアっぽさを残しつつも、初の大舞台で完璧なジャンプと透明感に満ちた個性を存分に発揮。鮮烈なデビューが深く心に残った。「今の彼女が見られてよかった!」と一番強く思えたのは、日本選手を別にすればこのふたりだ。

 しかしヨナは、彼女たちともその他の選手たちとも、まったく違う目的を持ってこの場に現れたようだ。ただ、このリンクに君臨するために。己がスケートで、この場を制圧するために。

拡大優勝したキム・ヨナ(金妍児)のフリー

 何でもないように颯爽と跳んでしまう、冒頭のトリプルルッツ-トリプルトウ、さらにトリプルフリップ。

 その後のジャンプはもう、失敗する気配もない。だがヨナが、すべてのジャンプを抜いてこのプログラムを滑ったとしても、それでも彼女は女王だっただろう。

 質のいい筋肉をバランスよくまとい、以前見たときよりも一回り大きな、もう華奢な少女ではない身体。その身体が、絢爛なほどの艶やかさと場を圧する存在感を、素晴らしいスピードに乗ってリンク中にふりまいていくのだ。

 「何といっても、久しぶりの試合でのヨナが楽しみだね」

 試合前、何度か交わしたそんな言葉が、あまりにも暢気に思えてくる。もう、それどころではない。この人はこんなにも凄かったのか――のけぞりたくなるような、素晴らしい女王の風格だ。

 フィニッシュを前に、最後のエレメンツのスピンで、早くも視界に入る全ての人々が立ちあがっていた。そして演技後、少なからぬ人々はおかしいほど無言だった。見知らぬ人とも、ただ無言でうなずき合うだけで、今見たものに感じたことが、伝わり合ったのだ。

 筆者は10年間、日本選手を中心にフィギュアスケートを取材してきたし、いつでも表彰台に日本選手が立つことを願っている。今大会も、できれば優勝はコストナーか日本選手がいいなあ、などと思っていた。そんな視点を持つ身としては、ヨナの滑りに感じたものは、恐怖に近い。見なければよかった、とさえ思った。それでもその感情は、快感なのだ。

 素晴らしい演技を見せてもらった、というストレートな歓びとは、また違う感情。悔しいけれど、今は絶句し、放心せざるを得ないほどの衝撃。スケートには、こんな感情を起こさせることもできるのだろうか。

 「もう、誰もヨナには勝てない……」

 「どうするんだ、ソチはヨナで決まりじゃないか」

 「日本から、ロシアから、誰が出てきたって、勝てっこないよ」

 試合終了後、記者室では様々な言語で、ため息交じりの囁きがさざ波のように広がっていた。

 1年後、日本選手はキム・ヨナに勝てるのか? これから1年間、さんざん論じられていくことだろうが、まずは今大会の日本代表、3人の滑りを振り返ってみよう。

■鈴木明子

 今年の世界選手権、最も楽しみにしていたことのひとつは、鈴木明子のシグネチャ・プログラム「O」(オー)を見ることだった。特にNHK杯と四大陸選手権で見られた、全ての観客をひとつの世界にまるごと攫(さら)っていくような、雄大な演技。あれをもう一度、彼女自身一番気合いの入る世界選手権で見られる――そう思うとわくわくして、鈴木の滑りを見に、練習リンクに何度も足を運んだ。

 そこまで「はまった」プログラムは、高橋大輔の「白鳥の湖」(07-08年SP)以来かもしれない。そして鈴木は、公式練習のたびに全力で「O」を通して見せ、試合さながらの迫力を何度も堪能させてくれた。

拡大12位に終わった鈴木明子

 フリーの前日まではジャンプの調子も良く、ひとつのマスター・ピースを仕上げていく時間を共にできたような気がして、しみじみとうれしかった。ショート7位で終わった時点でも、最終グループに残った村上佳菜子、浅田真央だけでなく、鈴木の逆転メダルもまだありうる、と多くの記者たちが予想をしていたくらい、調子は良かったのだ。

 それがいきなり、ジャンプがまるきり入らなくなったのは、フリーの朝。 ・・・ログインして読む
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筆者

青嶋ひろの

青嶋ひろの(あおしま・ひろの) フリーライター

静岡県浜松市生まれ。2002年よりフィギュアスケートを取材。日本のトップ選手へのインタビュー集『フィギュアスケート日本女子 ファンブック』『フィギュアスケート日本男子 ファンブック Cutting Edge』を毎年刊行。著書に、『最強男子。 高橋大輔・織田信成・小塚崇彦 バンクーバー五輪フィギュアスケート男子日本代表リポート』(朝日新聞出版)、『浅田真央物語』『羽生結弦物語』(ともに角川つばさ文庫)、『フィギュアスケート男子3 最強日本、若き獅子たちの台頭 宇野昌磨・山本草太・田中刑事・日野龍樹・本田太一」(カドカワ・ミニッツブック、電子書店で配信)など。最新刊は、『百獣繚乱―フィギュアスケート日本男子―ソチからピョンチャンへ』(2015年12月16日発売、KADOKAWA)。

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