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[8]女子フリー(下)

着実な足取りを見せた村上佳菜子。最後の準備ができた浅田真央

青嶋ひろの フリーライター

■村上佳菜子

 フリーの日の朝、女子最終グループの公式練習を記者席で見ていた時。

 「村上のフリーの曲は、フィギュアスケートでは有名な曲なんですか? クラシックですか? いい曲ですよねえ。僕、どんどん好きになっちゃいましたよ」

 特に最後のパートが好きだと言いながら、その記者はピアソラの「アディオス・ノニーノ」を口ずさんだ。「ここに村上の動きがばしっとはまると、またいいんですよねえ」と。

 俺は本当はサッカーの取材をしたいんだ。なんでフィギュアなんて取材してるんだ? そんな顔をしたスポーツ記者が、こんなふうにちょっとずつフィギュアスケートに興味を持っていく。専門記者としては、とてもうれしい瞬間だ。

 「今年のフリー、いい感じなんですよ!」

拡大4位になった村上佳菜子のフリーの演技

 話題のフリー、「タンゴメドレー」は、振り付けができたばかりの初夏のころから、村上佳菜子自身がそう宣言していたほどの佳品だ。

 4分間で3曲のタンゴを使い、3つのパートで構成されているこのプログラム。世界選手権でも、見事に3つの違った表情を滑り分けて見せた。

 第一パート、「ア・フエゴ・レント(とろ火で)」。この曲だけオラシオ・サルガンの作曲で、バンドネオンが厳しい調子でタンゴのリズムを刻み続ける。ハードな雰囲気で始まる中、村上もクールな振り付けをこなし、無表情で男を誘惑する気の強い女を演じている。

 前半はトリプルルッツなど難しいジャンプが用意されていて、競技としても緊張感があふれるパートだ。多少表情が硬くても、それがそのまま役作りにいい感じでシンクロする……さすが、今一番脂が乗っている振付師、パスカーレ・カメレンゴの構成だ。今回はルッツもループのコンビネーションも着氷し(回転不足判定などはあり)、華やかなプログラムの幕開けとなった。

 第2パートは、アストル・ピアソラの「オブリビオン」。曲調も村上の動きも、急にしっとり熱を帯びてくる情熱的なパートだ。村上の言葉によれば、「ここは女性の色気を表現するパート」。第1パートとは雰囲気を変え、湿り気を帯びた表情で誘惑してくる女に、男も一歩後ずさってしまう……そんな場面が目に浮かぶよう。

 今回はここで、残念ながら、トリプルサルコウ-ダブルアクセルのセカンドジャンプがシングルになってしまうミス。しかし、「いや、このくらいならOK!」と、ミスに気をとられることなく、そのまま彼女の見せる世界に身をゆだねられてしまったのだから、大したものだ。

 ジャンプを見守りつつ、プログラムを楽しむ。大きな試合になればなるほど難しいことなのに、今は両方を楽しめていることに驚きつつ、最後のパートを迎える。

 第3パートは、いよいよ「アディオス・ノニーノ」。特にこの部分が好きだ、と多くの人が楽しみにしている、壮大な締めくくりのパートだ。本人によれば「最後はすごく激しい曲になって、戦うような強いイメージ」だそうだが、見る人によって受け取り方は違うだろう。プログラムを恋の物語として捉えた人ならば、駆け引きを終えて結ばれた恋人たちが、恋の喜びを謳歌しているようにも見える。また、ミスを最小限に抑えて大舞台を滑り切ろうとしている村上自身が、滑る喜びを目いっぱい表現しているようにも見える。

 どんなふうに捉えたとしても、ピアソラ屈指の名曲に一年間自分を委ねた18歳のアスリートが、思いのすべてを放つのだ。胸が熱くならないはずがない。

 フリーが終わったあと、観客もボランティアも記者も、何人もの人が「フエゴ・レント」や「アディオス・ノニーノ」を口ずさんでいた。やっぱり頭からこびりついて離れなくて、困りますよ、と件の記者も笑って言った。

 「ショートプログラムに比べると、今日はすごく緊張して、足も震えていて。公式練習ではミスが多かったので、不安もありました。跳べない不安があると、ジャンプのタイミングも少しずれてしまうんです。だから自分では、『もうちょっとできたかなあ』って気持ちもある。でも不安が大きい状態としては、本番はうまくまとめられたかな!」

 フリー7位の、総合4位。昨年の5位からひとつ席次を上げ、多くの選手がシーズンごとのアップダウンを余儀なくされる中、着実な足取りを見せた村上佳菜子3度目の世界選手権。

 しかし今季、おそらく全日本選手権に次ぐ名演をフリーで見せた彼女には、やはりメダルをとらせてあげたかった。これで村上がメダルを手にすれば、浅田真央、安藤美姫、鈴木明子と合わせ、なんと日本は、世界選手権メダリスト4人を擁するチームになっていたのだ。

 でももう、いつメダリストとなってもいい、その格が彼女にあることは、誰もがこの試合で知っただろう。そして何より、村上佳菜子は自分の演技をもってして、またたくさんの人をフィギュアスケートに夢中にさせてしまった。

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筆者

青嶋ひろの

青嶋ひろの(あおしま・ひろの) フリーライター

静岡県浜松市生まれ。2002年よりフィギュアスケートを取材。日本のトップ選手へのインタビュー集『フィギュアスケート日本女子 ファンブック』『フィギュアスケート日本男子 ファンブック Cutting Edge』を毎年刊行。著書に、『最強男子。 高橋大輔・織田信成・小塚崇彦 バンクーバー五輪フィギュアスケート男子日本代表リポート』(朝日新聞出版)、『浅田真央物語』『羽生結弦物語』(ともに角川つばさ文庫)、『フィギュアスケート男子3 最強日本、若き獅子たちの台頭 宇野昌磨・山本草太・田中刑事・日野龍樹・本田太一」(カドカワ・ミニッツブック、電子書店で配信)など。最新刊は、『百獣繚乱―フィギュアスケート日本男子―ソチからピョンチャンへ』(2015年12月16日発売、KADOKAWA)。

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