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[12]キタキツネ

中村計 ノンフィクションライター

 取材をする前までは、2007年に甲子園に出場したのときの幸喜竜一や新崎慎弥たちの代は、我喜屋が好む型枠に半ば強引に押し込まれたのではないかと想像していた。それぐらいでないと、わずか3カ月半で結果は出せないだろう、と。

 しかし実際は、思っていたよりもはるかにスマートなやり方だった。

 2010年師走。年の瀬が近づくと、毎年、帰省中のOBたちがちらほらとグラウンドに顔を出すようになる。そして後輩たちと一緒に汗を流していく。

 我喜屋優がグラウンドに姿を見せると、OBたちがあいさつをしに我喜屋の元に走り寄ってきた。そんなときの我喜屋の対応の仕方はおおよそこんな感じだ。

 「こなくていい!」と追い返す。

 「何しにきたの?」とニヤリと笑う。

 間違っても「おう、久しぶりだな。元気か?」などとは言わない。ちなみに取材者である私に対していちばん多かったのは、「まだいたの?」。

 だが、これらのリアクションは、我喜屋なりの愛情表現だ。私も、認知されているのだと嬉しい気持ちになったことはあっても、嫌な気持ちになったことは一度もない。

 だがその日、新崎と、新崎の同級生で「1番・センター」を任されていた小浜健太朗が我喜屋の元へ駆け寄ったときは、発する空気がいつもと少し違っていた。

 我喜屋は、短く鋭い口調で言った。

 「何だ、そのヒゲは」

 新崎は、遠目でもはっきりとわかるぐらい口元に豊かに髭を蓄えていた。今風だが、品位を欠いているといえば欠いていた。

 思わぬ形で機先を制された新崎と小浜は、面食らったように互いに顔を見合わせる。いつものジョークなのか、それとも本気なのか、判断しかねていた。

 それでも我喜屋は、そんな二人に何の助け船も出さず、新崎の顔とグラウンドを交互ににらみつけている。

 二人は結局、我喜屋の真意をはかり切れず、戸惑っているような笑いを見せたまま、すごすごと引き下がった。直後、小浜はこうこぼしていた。

 「監督さん、わかりずらいんですよね……。あのあと、二人で『監督さん、怖くなってない?』って。僕らの頃は、ここまで何回も集合させることはなかったですしね。ノックのときに2、3回集めるぐらいで」

 練習中、我喜屋は選手たちをよく集める。感じたことがあったら、その思いが熱を持っているうちに伝えるためだ。

 「監督は短気じゃないとダメ。思ったことやってなかったら、頭にくるぐらいじゃないと。気が長いと、なあなあで終わっちゃう。普通の監督は、1時間練習やったら、1時間後に確認するでしょ。それじゃあ、ついてこれない選手、いっぱいいるよ。問題が出てきたら10分ごとでもいいから、外野も内野も全部集めてみんなで確認し合うの。そうやってみんなでゴールしなければダメさ」

 この日の我喜屋は、動きが緩慢な選手たちに苛立っていた。トンボのかけ方、投手陣の練習方法、バッティング練習の際の選手たちのスイングの弱さ。そのため、それらが目につくたび、選手を集め、注文をつけた。

 「迫力のない練習は、こうやって一つずつ潰していかなきゃダメなんだよ」

 我喜屋の表情がいつも以上に険しかったこともあり、何度目かの集合のとき、どんな話をしているのだろうと、恐る恐る近づいて耳を傾けようとしたのだが「ちょっと!」と手で制された。

 だが、私の中では、それらはいつもの我喜屋だ。いつも以上に気が立っていたかもしれないが、それも特別なことではない。

 2007年時の3年生に話を聞き、もっとも意外だったのは、

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筆者

中村計

中村計(なかむら・けい) ノンフィクションライター

1973年生まれ。千葉県出身。同志社大学法学部卒。スポーツ新聞記者を経て独立。『甲子園が割れた日―松井5連続敬遠の真実―』(新潮社)でミズノスポーツライター賞最優秀賞受賞。ほかの著書に『佐賀北の夏』(ヴィレッジブックス)、共著に『早実vs.駒大苫小牧』(朝日新書)、『横浜vsPL学園――松坂大輔と戦った男たちは今』(朝日文庫)など。『雪合戦マガジン』の編集長も務める。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです