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オランダ訪問、雅子さまの主治医の説明責任

岩井克己 ジャーナリスト

 皇太子ご夫妻のオランダ訪問が実現した。雅子さまの公式海外訪問は2002年のニュージーランド・オーストラリア訪問以来11年ぶりだ。

 日本とオランダとの間では、戦時中の捕虜虐待や従軍慰安婦などの歴史問題を抱えながらも、長年にわたる経済交流や市民レベルの交流に加え、現天皇とベアトリックス女王の真剣な「和解」への取り組みと、その過程で育まれた友情もあって、基本的には良好な関係が築かれつつある。06年には王室の好意で皇太子ご一家の史上初めての海外での静養に招待してもらった経緯もある。女王の譲位に伴うアレクサンダー皇太子の国王即位の式典に、同世代の皇太子ご夫妻が国を代表して出席することになった。

 しかし、雅子さまの訪問の決定に対しては、 国内から様々な批判や疑問が噴出している。ネット上でニュースが流れると、膨大な批判的コメントが殺到した。雅子さまは一部の主要儀式は出席の予定だが、その他の行事は同行する主治医の判断により出欠は不透明ということもあり、宮内庁にも批判の電話やメールが数多く寄せられているという。

 きっかけは、オランダからの招待に対するご夫妻の返答が期限から1カ月以上遅れ、閣議にかけられたのは出発のわずか9日前の4月19日になってしまったことだ。

 皇太子夫妻の外国訪問は天皇・皇后に準じ、双方の政府機関や大勢の関係者の準備作業は膨大なものとなる。閣議決定を経ないと事務方は本格作業に入れないため、早ければ半年以上前、いくら遅くとも1カ月前というのが常識だった 。とりわけ今回は、安倍首相のプーチン大統領との首脳会談のためのロシア訪問という総理の重要な外交日程もかち合ったため、政府専用機の割り当てや民間機のチャーターといった頭の痛い問題もあり、官邸、外務省、防衛省、警察庁、宮内庁など各政府機関の事務方や民間関係者は大変な作業に追われたはずだ。このことは相手国側についても言えることで、オランダにも多大な迷惑がかかっただろう。

 宮内庁の長官と次長が記者会見で「一刻も早く決めていただきたい」と公にご夫妻に催促するに至ったのも、恐らく「宮内庁、東宮職は何をやっているのか」と政府内からも批判が集まり、切羽つまったものだったのではないかと思う。

 皇室は、周囲や国民に迷惑をかけないようにという思いやりや 、公務とりわけ国際親善活動での公平性を重んじると受け止められてきた。国民や諸外国からの敬愛も、こうした自らに厳しい「作法」あってのものだろう。

 東宮職は「雅子さまの体調をぎりぎりまで見極める必要があった」としているが、今回の決定と発表の取り運びは不明朗で拙劣だったと言われても致し方ないだろう。

 だれもが思うのが、雅子さまが18日の園遊会に欠席する一方で、オランダ訪問は決めるという「体調」の矛盾の不可解さだろう。返答が長期間にわたって留保される一方で、ご家族のスキー旅行や学習院の音楽会には元気な姿を見せていたことから「はじめから園遊会がすむまで意図的に返事を延ばしていたのではないか」という推測まで呼んでいる。

 こうした「矛盾」は今 に始まったことではなく、雅子さまが長期療養に入ってから何度となく繰り返されてきた。インドネシア大統領、ブータン国王ら国賓の歓迎式典や晩餐会は欠席する一方、同じ日に乗馬を楽しんだり愛子内親王に付き添い登校する。ほとんど全ての公務や祭祀は欠席する一方で、私的な遊興や静養は活発に行う。節目の命日の「式年祭」を迎える歴代天皇について、その天皇をしのんで祈りを捧げるため準備の一環として行われる事績の進講は出席する一方で、肝心の式年祭は欠席するといった本末転倒の状態も続いている。

 今回は、皇室にとって重い行事の日程が重なって、そうした矛盾が鮮明に浮き彫りとなって、多くの一般国民の間で長年たまっていた疑問と不満が表面化した形だろう。

 こうした 雅子さまの公務のあり方について、東宮職はこれまで「主治医の判断」と説明してきた。しかし、主治医は会見して具体的な説明に立つことは一度もなく、 ・・・ログインして読む
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筆者

岩井克己

岩井克己(いわい・かつみ) ジャーナリスト

ジャーナリスト。朝日新聞特別嘱託。1947年生まれ、71年入社。94年から2012年5月まで朝日新聞編集委員。皇太子ご夫妻訪韓延期へ、礼宮さま婚約、即位の礼の骨格、雅子さま懐妊などをスクープ。05年、「紀宮さま婚約内定」の特報で新聞協会賞受賞。著書に『侍従長の遺言』『天皇家の宿題』。監修に『徳川義寛終戦日記』『卜部亮吾侍従日記』など。

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