2013年05月15日
2020年オリンピックの招致活動が最終段階に入ったなかでの「減点」によって、東京都が招致争いで痛手を被ったことは否定できない。
後先なしにタカ派的自己主張を繰り返した前知事と異なり、猪瀬知事は彼の著書などから日本を代表する良識豊かな作家と筆者は思っていた。そんな彼だから、当然、外交にも明るい国際通と考えていたが、実際はそうでもなかったようだ。
彼の主義主張や国際関係に関する知識の量に関係なく、東京都の職員は、NYタイムスとのインタビューに対して事前レクチャーをしたはずだ。
それでも、海千山千の辣腕記者にしゃべったのであれば、明らかに彼の認識不足だ。雑談中に交わされた一言だったと釈明しても、そんな言い訳は通じない。
筆者は大学で「スポーツ経営」を教えている。当然、米国と欧州のプロリーグと球団(=クラブ)の経営手法をスポーツ経営の中心に置いている。同時に、欧米がスポーツ経営の概念を確立するに至った歴史的背景、地勢学的要素、政治力学を側面的基礎教養として学生に学ばせている。
例えば、世界のスポーツ界を牽引するIOCや国際サッカー連盟(FIFA)の歴代会長は両組織ともに、1人を除いて欧州出身者が占めてきた。また、両組織の理事の約半数は欧米出身者である。IOCとFIFA以外の国際スポーツ団体の長もまた多くが欧米出身者によって占められている。
そして、彼らの大半は彼らのルーツをたどるとかつての欧州の国王や貴族の家系に行き着く。彼らは生まれながらにして「権利」の妙味と権利が作り出す「差別化」の効用、更には、宮廷外交を基盤とする「外交」を学んだ人たちなのだ。
スポーツの世界の公用語が英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語であることも彼らの力の源泉と言える。だから、権力や権利の現金化で成り立つスポーツの中枢を彼らが占めるのも納得できる。
彼らの権利行使の具体化が「ルール改訂」だ。ルール改訂は古今東西、権力者だけがおこなうことができる特権である。日本が、スポーツの国際競技団体に人を送れないことやルール改正に関与する余地がほとんどないことからも、日本の置かれた立場が容易に理解できる。
スポーツ界のみならず真の権力者は誰にも和やかである。何事に対しても最初から絶対に「NO」と言わないし、周りの人が嫌がることを決して口にしない。この暗黙の躾や気配りは数字で表せない「Priceless」なのだ。
欧州の「Priceless」の作法を自然に身に付けるためには
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