佐々木亨(スポーツライター)
2013年07月01日
大谷翔平の旅立ちの日、岩手の空には雪雲が広がっていた。吹雪が視界を遮る。大地は一面、白いじゅうたんに覆われた。
花巻東高校の卒業証書を手にした大谷は、高校最後の行事を終えてこう語ったものだ。
「キャンプ中に学校のテストのために岩手に戻った時も雪が降っていましたし、先生方には『おまえがくると吹雪になる』と言われました。最後もこういう形になったんですけど、これはこれですごくいいかなあと思います」
沖縄での春季キャンプを経て、こんがりと日焼けしたその顔には照れ笑いが浮かんだ。
嵐を呼ぶ男――。プロでの第一歩は、まさにその名に相応しいセンセーショナルなものだった。プロ野球界の常識を覆す二刀流に挑戦する中、大谷は2013年の開幕戦となった3月29日の西武戦で「8番・右翼」としてスタメンに名を連ねた。プロ初安打は、第2打席。西武の先発、岸孝之のインコース高めにきたストレートを一塁線に運んで二塁打とした。続く第3打席では右前安打。デビュー戦で2安打を放った「打者・大谷」は、試合後にお立ち台に上がった。
「勝ちに貢献できて良かったです。今日は打席ですごい経験をしましたし、すごいボールを見せていただいたので、次からの試合にもこの経験をつなげていきたい。そして、自分の投球にもつなげていきたい。ピッチャーでもバッターでも成長していきたいと思います」
規定打席にこそ達していないが、6月を終えた時点で打率は3割超え。24本のヒット中、12本が二塁打で、その中には5月26日の阪神戦、高校時代のライバルである藤浪晋太郎から放った2本の二塁打も含まれている。
7月に行なわれるマツダオールスターゲームのファン投票の最終結果が出たのは6月24日のことだ。大谷は、パリーグの外野手部門で3位に選ばれ、球宴出場を手にした。
ちなみに、高卒ルーキーがファン投票で選出されるのは2007年の田中将大(楽天)以来。野球ファンの「見たい」選手の評価は、話題性という側面もあるにせよ、「打者・大谷」が認められた一つの証でもある。
その一方で、プロ野球選手としてもう一つの軌跡を描こうとしている「投手・大谷」は、静かに歩を進めている。
北海道日本ハムファイターズの黒木知宏一軍投手コーチはこう言う。
「打つこと、投げることをしっかりと両立させることを念頭に置く中で、僕の担当からすると、ピッチャーとして一軍でしっかりと勝てる投手にするために春季キャンプからずっとやってきました。それは今も変わりません」
開幕後、チームはブルペンでのピッチング練習や実戦マウンドで球数を制限しながら、大谷の投手としての課題や状態を見極めてきた。
そんな中、大谷が一軍のマウンドに初めて上がったのは5月23日のことだった。舞台は、札幌ドーム。先発として一軍デビューを果たした高卒ルーキーは、初回から150キロ台のストレートを連発した。その試合での最速は157キロだった。だが、5回を投げて2失点。高い潜在能力を示す一方で、制球力不足やセットポジションでの課題が顔を覗かせる中、初登板での初勝利を逃した。
一軍登板は時期尚早だったのか。そう語るプロ野球関係者がいたのも事実だ。
だが、日本ハムの栗山英樹監督は、大谷を一軍のマウンドに立たせる上でのはっきりとした基準を設けていた。それはゲームにおける球数だ。大谷が二軍での実戦マウンドで「100球」という基準をクリアできたことで、一軍での先発を決めた。内容や結果にはとらわれない。「投手・大谷」の育成を考える中、ひとつ前に踏み出したことで指揮官は決断したのだ。また、初登板の際に栗山監督はこうも語った。
「課題は一軍にある」
一軍という舞台で得るピッチングでの課題や実戦感覚が投手としての成長を後押しする。または一軍で投げることによって大谷の潜在能力は最大限に引き出されると考えた。
栗山監督の決断について、高校時代を見続けた花巻東の佐々木洋監督はこう話す。
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