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[6]「トクタイ」

永尾俊彦 ルポライター

 長崎県諫早市小長井町の漁師、松永秀則さん(59)の自宅は、諫早湾が見下ろせる小高い丘の上にある。鏡のように穏やかな諫早湾をはさんで、対岸には雲仙の三峰五岳のゴツゴツした雄大な山塊がそびえ立つ。

 その三峰五岳のひとつの普賢岳が、1990年に198年ぶりに噴火し、翌91年に発生した大火砕流で43人もの犠牲者が出た。

 これは、89年に本格着工された諫早湾干拓事業に対する海をつかさどる水神様の怒りの爆発だ、と信じる漁民は少なくない。

 その干拓のため、97年に諫早湾を閉め切った潮受け堤防の幾何学的な直線が、一幅の絵画のような風景を切り裂いて西側に伸びる。

 諫早湾が閉め切られてから、2013年4月14日で16年になった。

 「人生の働き盛りが、この干拓でパーですよ」と松永さんは言った。

補助金漬けからの決別

 連載の第1回目で記したように、2010年に5年間の開門を命じた福岡高裁の判決が確定し、農水省は13年12月までに潮受け堤防排水門を「開門」しなければならない。

 ここでの「開門」とは、今は河川から調整池に流入する水を雨が降った後などに排水門から排水するだけだが、その排水門から海水を出し入れすることだ。

 だが、開門によって農業用水用に淡水化されている調整池に海水が出し入れされれば農業に支障をきたすなどとして干拓地の農民らは絶対反対で、長崎県も全面的に支援している。農民らは長崎地裁に「開門阻止」の仮処分を求めており、本訴訟も提訴している。

 仮処分の審理はこの5月13日に終結し、11月12日に決定が出る。だが、農水省が「地元の反対」を理由に開門準備に消極的なこともあり、果たしてすんなり開門が実現するか予断を許さない。

 開門が確定してから、漁民側は農水省に対して一刻も早い開門を求め、断続的に協議を続けてきた。そして、漁民側は開門の準備工事の着手時期に関し、「開門判決が履行できなくなるデッドラインの時期を明らかにされたい」と繰り返し求めている。

 しかし、6月19日に熊本市内で開かれた開門協議の席でも、農水省は「工事に要する期間は、工事の施工方法や地元の協力等によって伸縮するものである。ご指摘のような事態が生じることのないよう、努力して参りたい」と繰り返すばかりで、「努力する」とは言うが、最終期限の12月20日までには必ず開けるとは明言しなかった。

 この席で、漁民側弁護団の馬奈木(まなぎ)昭雄団長は、このままでは「憲政史上初めて、国が確定判決を履行しないという事態が生じる」と述べた。

 松永さんの属する小長井漁協(組合員98人)の養殖アサリの漁場や養殖カキのイカダなどは、排水門から数キロの所にあり、干拓工事や排水による被害を直接受けてきた。

 だが、小長井漁協は開門反対の立場で、松永さんは長く「排水門を開けろ」とは言えなかった。

 諫早湾の閉め切り後、毎年のように繰り返されるアサリの大量死やカキの死滅に苦しむ小長井の漁民は、養殖用のアサリの稚貝や砂、カキ養殖用のイカダなどを買うにも県の補助金が必要で、漁獲量が落ちれば落ちるほど、補助金にしがみつかざるをえないというジレンマに陥っている。

 だから、漁民は県が農水省と一体となって進めてきたこの干拓事業に反対することはできなかったのだ。

 アサリやカキなどへの補助金は、「諫早湾水産振興特別対策事業」という名称だ。漁民が「トクタイ」と呼ぶこの事業で、長崎県と県の外郭団体・諫早湾地域振興基金から諫早湾内3(当初は4)漁協に1987年度から2012年度までの26年間に24億8800万円が支払われている。平均年間約1億円だ。その他、諫早市と雲仙市から年間2000万円前後が付加されている。

 湾内約200戸の漁家数で割れば年にざっと60~70万円。諫早湾・有明海が「宝の海」と呼ばれた頃は、はした金でしかなかった額だ。しかし、不漁続きの近年、「トクタイ」は漁民にとっては命綱のような事業になっている。

 2012年度の小長井漁協の総水揚げは1億8000万円。組合員98人だから、1人当たりにすれば180万円にしかならない。

大浦漁協(佐賀県)のタイラギ漁を手伝う松永秀則さん(中央)=2011年2月、撮影・筆者拡大大浦漁協(佐賀県)のタイラギ漁を手伝う松永秀則さん(中央)=2011年2月、撮影・筆者
 2012年9月に松永さんを訪ねた際は、全く漁にならず、県の「環境保全対策事業」と称する海岸の流木ひろいをやって日当5000円をもらい、生活しているとのことだった。

 国民年金は払えず、免除されている。「夫婦船」で、長年共に漁をしてきた妻の好子さん(58)は、この6月からヘルパーの仕事を始めた。

 トクタイの他、養殖研究、漁場管理、組合運営近代化、漁協施設整備から漁場清掃など様々な名目で国、県、市から補助金が出され、利子補給、助成なども行われている。

 農水省や県は、一方の手で漁場を破壊し、他方の手で「水産振興」を図る。まるで「マッチポンプ」のようだ。

 しかし、いくら補助金などの支援を受けても年々落ち込む一方の漁業被害に「開門」以外に展望はないと松永さんらは決断し、ついに2008年、長崎地裁に提訴した。

 原告は小長井漁協の9人と隣の佐賀県太良町の大浦漁協(組合員346人)の32人で、合計41人だ。その後、諫早湾内の瑞穂漁協、国見漁協の漁民も立ち上がり、第2陣、第3陣と提訴し、原告は合計84人になった。

 「公共」事業によって環境が破壊されればされるほど補助金漬けにされ、漁民が抵抗できなくなっていく構造と、松永さんたちはキッパリ決別する決意をしたのだ。

 「補助金に頼っている限り、麻薬中毒と一緒ですたい。『点滴ください、点滴ください』って。点滴なくなったら死を待つだけ。自分たちの手で、点滴はずして立ち上がらんば」

「ホント、だまされたなあ」

 小長井町はかつて石材業で栄えた。同町帆崎から産出する石材は「帆崎石」と呼ばれ、大阪城築城に使われたという言い伝えがある。有明海沿岸各地で盛んに行われた干拓にも使われ、同町から石材を切り出し、船で運んだ。最盛期の昭和30年代には年間60万トンが出荷されたという。近年では諫早湾干拓にも使用された。

 松永さんの祖父は、その石材業を営んでいた。父は戦前に石材業を継いだが、やがて石材から原油の運搬にかわり、その後漁を始めた。袋網を付けた熊手型の桁(ケタ)を船から海底におろし、桁を船で引っ張って桁で掘り起こした赤貝などを袋網に入れてとる桁引き漁だ。

 松永さんの兄の洋一さん(63)も中学を卒業して漁師になった。

 「ここは、魚介類の宝庫よ」

 洋一さんは、当時小長井町に一人だけいた潜水夫の漁を見て、桁引きよりも水揚げ量が多い潜水漁に替わった。

 小長井沖はタイラギという靴べらを大きくしたような形の30~50センチほどの大型の二枚貝の好漁場だった。タイラギは、味はホタテに似ているが、より濃厚で鮨だねなどに珍重され、高値で取引された。

 洋一さんは、やがてタイラギ漁の名手になった。

タイラギ漁の潜水服=撮影・筆者

拡大タイラギ漁の潜水服=撮影・筆者
 貝柱だけで1日に60キロ入りの樽に6樽、360キロ揚げたこともある。

 宇宙服のような潜水服の胴にオモリを巻いて10~15メートルほど潜り、海底に頭だけ出して直立しているタイラギを打ちカギで引っ掛けて腹につけたスカイと呼ばれる袋に入れていく漁だ。

 しかし、水深の深い所は水圧が高く、時間をかけて減圧しながら少しづつ浮上しないと潜水病になる。

 24歳の時に瀬戸内海にタイラギ漁の出稼ぎに行った洋一さんは、30メートルの海底に潜って漁をし、3時間かけて浮上すべき所を30分くらいであがってしまった。

 「血液の中に窒素がたまり、血液の流れを寸断して胸から下が麻痺したままですたいね」

 潜水病の恐ろしさを洋一さんはこう語る。

 結局半身不随になってしまった。 ・・・ログインして読む
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筆者

永尾俊彦

永尾俊彦(ながお・としひこ) ルポライター

1957年、東京都生まれ。毎日新聞記者を経てルポライター。1997年の諫早湾の閉め切りから諫早湾干拓事業を継続的に取材。主な著書に『干潟の民主主義――三番瀬、吉野川、そして諌早』(現代書館)、『ルポ 諫早の叫び――よみがえれ干潟ともやいの心』(岩波書店)、『公共事業は変われるか――千葉県三番瀬円卓・再生会議を追って』(岩波ブックレット)など。