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[8]壊れた自然環境と人間関係

永尾俊彦 ルポライター

漁業被害「偽装」の疑い

 2002年4月15日深夜、東京で金子原二郎長崎県知事と佐賀、福岡、熊本の3県漁連会長が武部勤農水大臣の仲介で会談した。古賀誠(福岡県選出)、久間章生(長崎県選出)両衆議院議員も同席していた。

 そして、2006年度の干拓工事完成を3県漁連会長が了承する代わりに長崎県知事は「ノリの第三者委員会」(有明海ノリ不作等対策関係調査検討委員会)が提言した短期開門調査を了承した。

 調査をして、その結果、干拓工事とノリの凶作との因果関係が明白になっても2006年度には干拓は完成してしまうのだ。一体何のための調査なのか。まさしく双方の要求を「足して2で割る」政治決着だった。

 その後、2002年4月24日から海水を出し入れする短期開門調査が5月20日まで行われた。

 しかし、地元農民の反対を理由に、被害を最小限度にするためと称して農政局はノリの第三者委員会が提言した2カ月間の半分にも満たない期間で、それも水位変動幅にして20センチ程度の開門にとどめて海水を出し入れしただけだった。開門の効果をなるべく小さく見せようとの意図が露骨に見えた。

 小長井漁協は、「排水で被害を受ける」として短期開門調査に「絶対反対」だった。そして、実際に短期開門調査実施後、養殖アサリが死ぬなどの被害が出たとして、農政局は小長井漁協ほか諫早湾内の瑞穂、神代(こうじろ)、土黒(ひじくろ)の4漁協に合計6000万円の補償金を支払った。

 しかし、それまで毎年のようにアサリが大量死し、地元では大きく報道されていたのに農政局は無視していた。それが、この年だけなぜ補償金を支払ったのか。

 しかも、諫早湾沿岸を歩き回って漁民たちに話を聞くと、この短期開門調査でアサリに明らかな被害があったという証言は聞けなかった。事実、諫早湾が閉め切られた1997年以降の小長井漁協のアサリの水揚げ量を調べてみると以下の通りだ(長崎農林水産統計年報)。

 97年708トン
 98年522トン
 99年386トン
 00年578トン
 01年222トン
 02年406トン

 02年が特に悪かったわけではない。むしろ前年の01年から倍増しているのである。

 松永秀則さんら小長井漁協の複数の漁民によれば、4月15日の数日後の深夜1時、同町の公民館に諫早湾干拓事務所所長、長崎県諫早湾干拓室の職員、そして松永さんら漁協幹部が集まった。

 その席で、県の干拓室の職員は、「中・長期開門調査をやらせないためにも短期(開門調査)をやらせてください」と頭を下げた。そして、干拓事務所の職員が「漁業被害があってもなくても補償しますから短期開門調査をやらせてください」と言ったという。

 私は干拓事務所に事実関係を確認したが、渡辺光邦次長は「被害に対して補償するのであって、被害が出ても出なくても補償すると言うなどありえません」と否定した。

 この問題は、2008年4月2日に衆議院の内閣委員会で吉井英勝議員(共産党)が取り上げた。

 「調整池からの排水では一度も漁業被害は出ていない(と農政局は主張する)。それなのに、短期開門調査のときだけ被害が出たというのはどう考えても不可解な話です。我々が聞いたような、例えば、被害を見せかけるために死んだアサリの貝をまいて写真を撮ったという話なんかも聞いているんですよ。事実上干拓事業がストップする中長期の開門調査を行わせないために、農水省は報告書も出せない、そういうふうな、補償金なるもので漁業被害を偽装したのではないかと疑念を持たれるような、私はそんなことじゃまずいと思うんですね。だから、そうでないと言うんだったら、調査報告書を提出しますとちゃんとここで約束してもらいたい」と迫った(カッコ内は筆者)。

 これに対して、農水省の齋藤晴美・農村振興局整備部長は「漁業補償につきましては、漁業者の方と基本的に合意に達するということが前提でございますので……(吉井委員「調査書は出すわけ」と呼ぶ)それに関する報告書を出すことは困難でございます」(衆議院会議情報のママ)と答えた。調査報告書を出せと迫る吉井委員の要求を齋藤局長は突っぱねた。 

 2003年11月、九州農政局は短期開門調査の結果にコンピュータ解析などを組み合わせ、諫早湾の閉め切りは「ほぼ諫早湾内にとどまっており、諫早湾外の有明海全体にほとんど影響を与えていない」という報告書を発表した。

 これを受けて04年5月、亀井義之農水大臣は中・長期開門調査の見送りを表明した。第三者委員会の提言は見事に骨抜きにされた。

公共事業を進める力

 しかし、短期開門調査の後、アサリが豊漁になったという事実から、松永さんらは開門して海水を出し入れすれば海は戻ると確信するようになった。

 「そんだけ、こん海はまだ力のあっとですよ」

 それで「松永組」もたたんだ。そして2006年頃から、松永さんは組合で「国、県に開門を求めるべきだ」と言うようになった。

小長井漁協の森文義前組合長=撮影・筆者

拡大小長井漁協の森文義前組合長=撮影・筆者
 しかし、森文義前組合長の後任の新宮隆喜組合長(70)は、嵩下正人さん同様、国、県の力を借りて諫早湾を漁業のできる海に創っていくしかないという立場だ。漁協役員の大半も組合長に同調している。

 だから、松永さんは決まって新宮組合長らに一方的に怒鳴りつけられ、やり込められてしまうという。

 私も小長井漁協を訪ね、新宮組合長に数回取材を申し込んだが、決まって一方的にまくしたてられ、最後は「君の取材は受けん。帰ってくれ」と言われるのだった。2012年9月に訪ねた際も、自説を一方的にしゃべり、最後に「これは取材を受けたんじゃないから、書いたら訴えるぞ」と脅かされた。

 新宮組合長も、かつてはタイラギ漁の「一等モグリ」でならした名手だった。 ・・・ログインして読む
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筆者

永尾俊彦

永尾俊彦(ながお・としひこ) ルポライター

1957年、東京都生まれ。毎日新聞記者を経てルポライター。1997年の諫早湾の閉め切りから諫早湾干拓事業を継続的に取材。主な著書に『干潟の民主主義――三番瀬、吉野川、そして諌早』(現代書館)、『ルポ 諫早の叫び――よみがえれ干潟ともやいの心』(岩波書店)、『公共事業は変われるか――千葉県三番瀬円卓・再生会議を追って』(岩波ブックレット)など。