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外国人選手・バレンティンとイチロー、記録達成への微妙な心情と呪縛 

大坪正則 大坪正則(帝京大学経済学部経営学科教授)

 東京ヤクルトスワローズのバレンティン選手が王貞治選手のもつシーズン55本の日本記録を超えるペースで本塁打を打ちまくっている。

 同じようなことはこれまで2度あった。近鉄バファローズのローズ選手(2001年)と西武ライオンズのカブレラ選手(2002年)が挑戦した時のことだ。

 その時、パ・リーグ球団の監督と投手が新記録達成を嫌がり、メディアはそれに追随した。両選手ともに外国人であることに加え、王選手と異なるパ・リーグに属していたことが災いしたようだ。パ・リーグの球団・監督・投手にも面子があるからだ。力のない投手は露骨な敬遠で勝負を避けたし、実力のある投手は厳しく内角を攻めたものだ。結局、両選手ともに55本止まりでシーズンを終了し、王選手を超えることは出来なかった。

記録達成が近づくにつれ、バレンティンへの厳しい内角攻めが目立ってきた 記録達成が近づくにつれ、バレンティンへの厳しい内角攻めが目立ってきた
 バレンティン選手は9月6日現在、26試合を残して52本だから、セ・リーグの投手がローズやカブレラの時と異なり、彼に真っ向勝負を挑むならば、新記録達成の可能性は十分に高い。

 しかし、偉大な王選手の記録が破られることを潔しとしない監督や投手が少なくないことも容易に想像がつく。あと4本の壁は途轍もなく高いように思えて仕方がない。

 一方、8月21日、米国メジャーリーグ(MLB)ニューヨーク・ヤンキースのイチロー選手が、日米通算4000本(日本1278本、米国2722本)の安打を放った。

 4000本は、1位ピート・ローズ選手の4256本、2位タイ・カッブ選手の4191本に次ぐ、第3位だ。

 また、MLB移籍後の2722本は、ヤンキース史上最も人気の高い選手の1人であり、ベーブ・ルース選手とともに史上最強と言われる3番・4番のコンビを組んだルー・ゲーリッグ選手が打った2721本をも抜いた記念すべきものとなった。

 体調維持に万全の備えを怠らない彼だからこその大偉業だが、今年10月には40歳になる。タイ・カッブとピート・ローズの記録を抜くには、チーム内のポジション争いに加え、年齢的衰えをも克服しなければならない。

 しかし、筆者は、これから彼が直面すると予想される最大の難関は「日米通算」という、何となく米国人にとって受け入れ難く、かつ、正当化したくない文言だと考えている。

 古今東西、差別と偏見のない時代や地域が存在したことはない。一方で、いかなる国や地域にも時間を超越した「英雄」がいるのも、これまた事実である。

 スポーツの世界でよく見かけることだが、新記録達成が近づいてくると、英雄が持つ記録が破られることを期待する人々と、記録更新を心情面から忌避したがる人々が表れ、それをメディアが両面から煽ることが起こる。

 典型的な例はベーブ・ルースの本塁打記録だろう。ルースはMLBの歴史を通じて最高の人気者だ。1919年のワールドシリーズで八百長事件が起き、MLBの人気が失墜した。その時、MLBを救ったのは、初代コミッショナーのケネソー・ランディス氏ではなく、20年シーズンからボストン・レッドソックスからヤンキースに移ったルースだった。

 当時は、ボールが飛ばなかったこともあり、単打・バント・盗塁による今で言うところのスモールベースボールが主流だった。そうした環境で、ルースは本塁打を打ちまくった。MLBの人気は一気に回復し、、ルースは27年に金字塔となる年間60本の本塁打を放ったのだ。

 ルースの記録を破ったのが同じヤンキースのロジャー・マリス選手。1961年の出来事だった。

 マリスが60本を超えるペースで本塁打を打つたびに世間は大騒ぎした。マリスは心なきルースファンから脅迫されて円形脱毛症になったし、当時のコミッショナーのフォード・フリックが、「(ルースが打った27年と同じ試合数である)154試合目までの記録達成でなければ新記録と認定しない」との声明を発表したほどだ。

 マリスの61号本塁打は162試合目に放たれた。だが、この新記録が公認されたのは1991年。それまで30年の歳月を必要とした。

 人種的偏見がなくてもマリスに途方もない精神的プレシャーがかかったのだから、記録を破る選手が外国出身だと想像を超えたプレッシャーがかかることは容易に理解できる。

 イチロー選手が新記録に迫った時、米国民とメディアはどんな感情を抱くだろうか。

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